前世と来世 その1
前世や来世という言葉は、聞いたことがありますよね。
でも、それについて真剣に考える人は、それほど多くはないと思います。
そんなのがあったらいいなとか、面白いなとは思うのでしょうが、本当に前世や来世はあるのだろうかと、考えたりはしないでしょう。
あなたが前世や来世に、関心を持たないのだとしたら、何故そうなのかを考えてみて下さい。
私が思うに、こんなものにのめり込んだら、とうとうあいつもいかれてしまったかと、思われてしまうと考えるのでしょう。
前世や来世という言葉や発想は、とても宗教的に思えます。
また、怪しいオカルトの世界のものにも見えるでしょうから、そんなものには近づきたくないと、思ってしまうのではないでしょうか。
それに、前世や来世に関心を持たなくても、生きて行くことはできますし、日常生活にはやらなければならないことが、目白押しです。
生活に直接関わらない、一部の人たちだけが深い関心を示すようなものに、かまけてなどいられない、という感じだと思います。
何かで一時的に関心を持ったとしても、次の日には、仕事や生活のことで頭が一杯になり、前世や来世の話など、どこかへ吹っ飛んでしまうのでしょう。
私が考えているような事情で、前世や来世に関心を持たないのだとすると、やはり一度立ち止まって、本当に関心を持たなくてもいいのか、確かめてみて下さい。
何故なら、人はいつか必ず死を迎えます。
自分も死にますが、自分にとって大切な人も死ぬのです。
一般的に、死は不吉なものとされ、誰もが逃げることができない、最大の悲しみのように受け止められています。
死が存在の消滅だと考えると、とても恐ろしくなるでしょう。
大切な人が消滅して、二度と会えないのは、悲しみの極みです。
そんな死の訪れを感じるようになった時、やらねばならないと信じていた、日常生活のことさえもが、どうでもいいように思えるでしょう。
死を受け入れられなければ、怒りと悲しみ、絶望と空しさが続きます。
しかし、前世や来世があるのならば、死は全ての終わりではなくなります。
肉体は崩壊しても、自分という存在、大切な人の存在が、消滅するわけでありません。
それでも、前世や来世という考え方は、そんな死に瀕する人々の心を慰めるために、昔の人が創ったお話だと、受け止める人もいるかもしれません。
どう考えるかは、その人の自由ですが、前世や来世というものが、単なる創作話だとするならば、そうであるという根拠を求める必要があるでしょう。
根拠なしに思うだけならば、それこそ個人の妄想ということになります。
一方、前世や来世を示す出来事は、実際にあります。
それを真剣に研究している人もいます。
それらを自分で確かめることもなく、頭ごなしに否定するのは、正しいことだとは思えません。
それに、そういう考え方を持ち続けると、結局は自分が苦しむことになるだけです。
人は自分の価値観によって、喜びもすれば苦しみもするのですから。
今、特に死とは縁がないと思えたとしても、前世や来世というものを、一度ゆっくり考えてみて欲しいと思います。