感動と生きる意味
何かに感動できるって、いいですね。
スポーツや映画、お芝居や小説。
音楽や絵画などの芸術作品。
大自然や生き物たちの姿。
ちょっとした善意。
いろんな所に、感動は隠れています。
そして、感動は私たちの心を、大きく揺さぶります。
私たちの心は、機械的な日常の暮らしの中で、いつの間にか固まって、いつも同じ形の殻の中に、閉じ込められてしまいます。
感動はその心の殻を打ち壊し、心に再び柔軟で活動的な力を、取り戻させてくれます。
何かに感動すると、私たちはそれまでの自分を振り返ります。
そして、もっとこういう生き方をすればよかった、これからはこうしよう、などと考えるのです。
ただ、感動の大きさが小さければ、その効果は日常の暮らしの中に、埋没してしまいます。
日々の習慣の力とは、相当なものです。
それでも感動は次から次に訪れます。
そして、ついには私たちを日常の枠から、外へと飛び出させます。
それは、生きる意味を見つけるということです。
感動は私たちに、生きる意味を見出させてくれるのです。
日頃から、自由に生きている人は、感動を人生の道しるべとして、大いに活用しています。
自由に憧れている人は、感動によって、自由を手に入ることができるでしょう。
自由をあきらめている人は、感動はしても、感動が示してくれているものは、自分とは縁のないものだと、決めつけています。
それでも、人との出会いや何かのきっかけで、自由を味わうことができれば、すぐにでも感動の導きに従うようになるでしょう。
何かに感動している人を、冷ややかな目で見る人は、相当な重症です。
幼い頃から、人や生き物と心を通わすことが、できなかったのかもしれません。
それでも、それなりに、ほぉっと思うようなことがあったなら、そこから興味や面白さを見つけ、それが感動へつながって行くでしょう。
凝り固まった体を、マッサージすれば解れます。
感動は凝り固まった心を解す、心のマッサージです。
何となく日々の暮らしに疲れたら、何か感動するものを、求めるといいと思います。
何にどのように感動するのかは、人によって異なるでしょうが、それは、人それぞれが進む道が違うからです。
ああ、感動した、で終わらせるのではなく、自分は何に感動したのか、という点を明らかにしておくと、今後どのように生きるべきかを、知ることができるでしょう。