所有するということ
何かを自分の手に入れる。
すると、それは自分のもの。
これが所有するということですね。
動物も縄張り争いをしたり、雌を巡って雄同士が争ったりします。
動物の世界でも、ここはオレの縄張りだ、この雌はオレの物だ、と動物なりの所有意識があるのかもしれません。
人間も動物の一つですから、同様の所有意識があっても、不思議ではありません。
実際、領土を巡っての争いがありますし、異性間のトラブルも後を絶ちません。
これは力のある物が、全てを手に入れるという構図になっています。
全てを手に入れても、力が落ちてしまうと、途端に他の者に、全てを奪われてしまいます。
動物の世界でも、ある群れのボスが、若い雄に地位を奪われて、すごすごとその場を離れるという光景は、いくらでもあります。
ボスの座を奪った若い雄も、いずれは同じように、その地位を他の雄に奪われ、群れから追い出されてしまうのです。
何故、所有しようとするのでしょうか。
動物の場合、安定した餌の獲得のために縄張りを、そして自分の子孫を増やすために雌を、我が物にしようとするのだと思います。
人間の場合、領土を得ようとするのは、そこから得られる食べ物や資源などが目的です。
その他に、威厳や権力を誇示するため、軍事的拠点を獲得するため、というのもあります。
異性を我が物にしようとするのは、子孫を増やすというよりも、性欲が一番の理由でしょう。
また、自分の好みの相手を、独り占めしたいという独占欲も働きます。
そこには他の者に対する、優越感もあると思います。
いずれにしても、何かを所有するという場合、所有の対象となるのは物品です。
相手が動物、あるいは人間であっても、所有意識を持っている者からすれば、それは物品に過ぎません。
つまり、この女は俺のものだぜ、とか、この人はアタシの物よ、と言う場合、その相手の人を自分が所有する物品だと、宣言しているわけです。
相手が独立した存在であることなど、完全に無視ですね。
だから、自分の思い通りにならないと、すぐに腹を立てますし、乱暴な扱いをします。
誰が主なのかを、わからせようとするのです。
でも、誰であれ人間は、誰かの所有物ではありません。
また、動物にしてもそうです。
人が勝手に動物を商品扱いしているだけで、本来は動物も誰の物でもありません。
植物や鉱物、空気、水、存在するもの全てが、誰の物でもないのです。
人間が勝手に自分の物だと、言い張っているだけのことです。
人間が人間を所有するという概念は、通常は否定的に見られます。
しかし、人間以外のものであれば、それが動物であっても、所有が認められます。
それは、人間以外のものには、人間のような知性がないと見なしているからです。
知性がないのは物と同じという発想でしょう。
もちろん、心ある人は動物虐待など認めません。
しかし、心ない人にとっては、たかが動物じゃないか、という考えの元で、動物を好きなように扱うのです。
相手が人間と対等に、会話などのやり取りができるなら、人間と同等の扱いをする可能性はあります。
ただし、そこに経済的な絡みがあれば、知性があるのがわかっていても、無視するかもしれません。
他の人間を物のように扱い、利用して金儲けをしようとするのと同じです。
それが物であれ、生き物であれ、人間であれ、所有していると考えている時には、相手への尊厳はありません。
自分が主だと考えているので、そのような想いはないのです。
道具や車などに愛着を感じている人は、それを所有しているとは言わないでしょう。
道具や車のことを、自分の相棒と呼ぶと思います。
全ての存在は、同じ一つのものから、生まれ出ました。
地球が誕生しなければ、人間はもちろん、他の生き物たちも存在しません。
山もなければ、海も、青空も、雲もありません。
どんなに人間が威張ったところで、人間は地球が誕生した結果、存在するようになったのです。
つまり、地球はお母さんであり、他の存在は全て兄弟姉妹です。
他の生き物を食べることで、生きるということは、その生き物からエネルギーをもらっているのです。
地球という全体のエネルギーの中での、エネルギーのやり取りです。
決してその生き物を、所有したわけではありません。
生き方や存在の仕方は、千差万別ですが、それでもみんな仲間であり、家族です。
道具などに愛着を持てる人は、理屈ではなく、感覚的に相手の存在を感じ取り、敬意を払うのだと思います。
個人が何かを持っていて、それを自分の物だと考えても、すぐに問題が起きるわけではありません。
しかし、何かを自分の物にしたいと、考えるようになると、問題につながるかもしれません。
大勢の人間が所有権を争うようになると、大変な騒ぎになってしまいます。
自分が何かを利用させてもらうことがあっても、それは自分だけの物だと、考えることはやめるべきなのです。
また、本当は誰の物でもないのに、これは自分の物だと言われると、その対象に対して失礼でしょう。
それぞれが相手に敬意と思いやりを持ち、また、何かを利用させてもらう時には、感謝の想いを持てば、争いごとは起こりませんし、みんなが平和な気持ちになります。
大きな問題は、実は日頃の小さな考え方の、積み重ねで起こるのです。
何かが身近にある時、あいるは、いる時、それは自分の物だという考えは、やめた方がいいでしょう。
それが物であれば、使わせてもらっている、利用させてもらっている、という姿勢が大切です。
動物や植物などの生き物であれば、自分の友、あるいは家族だと考えるようにして下さい。
それができなければ、生き物は飼わない方がいいと思います
相手が人間であれば、その人の人格を尊重しましょう。
相手を自分の物にしたいと思うのは、自分には相手を惹きつける魅力がないと、考えているのです。
実際に惹きつけられないのであれば、それは相手と波長が合っていないということです。
無理に一緒になっても、トラブルばかりの関係になるでしょう。
一緒になるのであれば、波長が合った人がいいと思います。
そして、そういう相手であれば、自分の物という考えは、浮かばないでしょう。