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ロボット義足

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足がない人のために、義足というものがあります。

しかし、義足は本物の足の代替品であり、決して本物にはなり得ません。

パラリンピック選手が、義足で走る姿を見ていると、まるで本物の足で走っているように見えます。

選手があのように走れるのは、義足の質の向上はもちろんですが、一番は選手の努力の結果でしょう。

一般の方が通常の義足を、本物の足のように使いこなすのは、それほど簡単なものではないと思います。

本物の足のような感覚は、義足からは伝わって来ません。

義足を装着した人は、体の欠損していない部分の感覚や、筋肉の動きで、義足を操作しないといけないのです。

恐らく、これは大変な労力であると思われます。

また、生まれつき両足が欠損している人は、歩いたことがありませんから、義足をつけて歩くというのは、相当大変なことでしょう。

今回記事に出ていたのは、五体不満足で有名な乙武洋匡さんが、被験者となったロボット義足です。

義足にAIと軽量モーターが装備されており、乙武さんの動きに合わせて、自動的に義足が動くというものです。

乙武さんは生まれつき、両腕両脚が欠損した状態なので、自分の足で歩くという経験がありません。

その乙武さんがこのロボット義足を使って、66.2メートルを歩くことができました。

これは実にすごいことで、乙武さんも胸が一杯ですと、感激していました。

ロボット義足を研究されている遠藤さんは、「究極は障害がなくなるくらいの技術が、世の中にいっぱいあふれていればいいな」と述べられています。

本当に素晴らしい発想です。
このような考えが、技術の向上の基盤となることは、よりよい社会の発展には欠かせません。

同じ技術の向上を目指すのでも、いかに自分は傷つかずに、相手を大量に殺傷できる、兵器を開発するのか、という人たちとは真逆のものです。

彼らとは別世界、別次元の存在とさえ言えるでしょう。

ただ、遠藤さんのような方たちを、見習わなければならない、これからの社会は、こうでなければならない、と考えてしまってはいけません。

物事を義務的に考えてしまうと、せっかくいいことをしていても、心の籠もったことはできません。

そうではなく、誰かの笑顔を喜びとして行動する、ということが大切です。

お金を稼ぐことや、人々に注目されること、などを目的にするのではなく、自分が本当に興味を持てることに、夢中になることが一番です。

そこに、自分がしていることで、誰かが喜んでくれれば嬉しい、という気持ちを加えるのです。

実際に誰が喜んでくれているのか、わからなくても構いません。

絶対に誰かが喜んでくれるという、確信を持って、自分が目指すものに没頭するのです。

みんながそうすることで、何の偽りもない、互いを思いやれる楽しい社会が、実現するのです。