楽しいことをしよう
人生は楽しむためにあります。
人生は喜ぶためにあります。
自分の人生を犠牲にして、他人のために生きるということが、何となく美談にされています。
でも、それは間違っています。
確かに、誰かのために、献身的な一生を送る人もいます。
しかし、本人は自分を犠牲だとは、考えていないと思います。
そういう事ができる人は、そうする事が自身の喜びになっているのです。
そんな人たちの存在は、とても有り難いことですし、人として尊敬に値する、素晴らしい方たちです。
だからと言って、あなたもあの人のようになりなさい、と言うのは間違っています。
物事には順序というものがあります。
誰かのために動くことが、自分の喜びになるためには、まず自分のために動いて、喜ぶという経験が必要です。
その経験を飛び越えて、献身的な形ばかりを真似させても、絶対にうまく行きません。
うまく行かないどころか、大きなトラブルにつながります。
実際、介護や看護の仕事に就いた人が、こっそり患者を虐待したり、死なせてしまう事件が起こっています。
これなんかは、本人の喜びを無視して、形ばかりの献身を強いたために、起こったことでしょう。
事件の被害者も気の毒ですが、加害者も不幸です。
介護や看護の仕事だけでなく、全ての仕事において、同じことが言えます。
お金を稼げるのはいい事だ。
成績がいい者は、優秀な人間だ。
資格や学歴がないと、認めてもらえない。
こんな事が、当たり前の事のようにすり込まれ、そうする事が人生の目的に、なっている人は少なくないでしょう。
そうできない人は、自分はだめな人間で、自分の人生なんか、全くつまらないものだと、思い込んでしまいます。
でも、こんな理屈は、経済社会の権力者が作った、自分たちに都合のいいものです。
本来、自然の生き物である人間は、こんな理屈で生きるようには、創られていません。
人間は好奇心の生き物です。
それは未知を探求し、そこに喜びを発見するものです。
どんな探求があり、どんな発見があるのか、それは人の数だけあります。
お金の奴隷にされるのではなく、自分の本当の心を解放して下さい。
今の自分にできる範囲から、自分が興味があること、自分が楽しみたいことを、始めて下さい。
誰かに迷惑をかけるのでなければ、何をやっても構いません。
逆に、他の人にも喜んでもらえるようなことを、追求していけると、喜びは何倍にも膨れるでしょう。
誰かのために動く喜びというものは、その延長線上にあるのです。
みんなが誰かのために、動くようになったならば、それは天国のような社会でしょう。
そんな社会を実現するためには、まず自分が喜ぶことを、自分に認めてあげるということが、第一歩なのです。