価値観のレンズ
光る球をイメージして下さい。
それは光の塊であり、光そのものです。
この球の表面に、いろんなレンズを載せてみます。
レンズは様々で、プリズムが白い光を虹色に分離するように、光を赤く見せたり、青く見せたり、黄色く見せたりします。
また、同じ色でも、明るいままのものもあれば、光の透過度が少なくて、暗くなるものもあります。
ほとんど光を通さないレンズは、黒く見えます。
こんなレンズは、ほとんど単なる障害物であり、黒く見えるのは、光が届かないための影です。
実は、この光の球というのは、私たち人間の心です。
光の球の表面に載せられた、様々なレンズというものは、今の世界で身についた、いろんな価値観です。
様々な価値観で覆われると、心は元の輝きを奪われます。
レンズによって、色や明るさが異なりますから、それはそれで美しい色合いを楽しむことはできます。
それでも、それは元の輝きとは違うものです。
また、光がほとんど透過しない、ほぼ真っ黒なレンズは、ネガティブな価値観です。
色がついていても、黒っぽいものは、やはりネガティブな価値観です。
たとえば、男はこうあるのがいい、女はこうあるべきだ、という価値観があるとします。
男あるいは女としての楽しさや喜びが、この価値観によって経験できれば、それはきれいな色が輝くレンズです。
しかし、男だから女だからという理由で、嫌な想いをさせられるような価値観の場合、それは中心の光を通さない、とても暗いレンズです。
価値観というのは意識の一部ですから、それぞれが自分の存在を、主張しようとします。
ですから、一人の人間の心の中には、いろんな想いが混在するのです。
でも、暗いレンズが増えてしまうと、その人はどうしても暗いことばかり、考えてしまうようになります。
元々の自分というものは、光輝く球ですから、色はついていても、明るい方が元の自分に近いと言えます。
つまり、ポジティブな自分ほど、本来の自分に近いということです。
いずれにせよ、価値観というものは、本来の自分の一部ではなく、あとから付け足されたものです。
本当の自分は、光そのものなのだと理解した上で、様々な価値観を見直し、光である自分がうまく投影できるものか、確かめてみるといいでしょう。
投影できない価値観は、さようならと言って、手放します。
厳選された価値観で生きるなら、あなたの人生はとても美しく彩られた、明るく素敵なものとなるでしょう。