人生という名のキャンバス
みんな同じ世界にいるように思いがちですが、一人一人は異なる世界にいます。
他の人たちと似たような世界を、体験しているのですが、あなたが認識している世界は、あなただけのものです。
同じ部屋にいて、同じ物を眺めていても、あなたと他の人とでは、視点の位置が異なります。
二人の視点を、全く同じにすることはできません。
見ている物は同じでも、見ている視点が異なれば、それは別の世界なのです。
この視点というのは、単なる肉体の目の位置、という意味だけではありません。
見えているものを、どうとらえているのか、という意味もあります。
私たちは自分の感覚と、世界を別のものだと理解しがちです。
でも、両者は同じものです。
つまり、私たちの感覚が、私たちが認識している世界を、創り上げているのです。
目を閉じれば、世界は暗闇になります。
耳を塞げば、世界は閉塞感で包まれます。
皮膚の感覚や、嗅覚・味覚がわからなくなれば、自分が世界と分離しているように思うでしょう。
感覚に障害があると、私たちは世界を感じられなくなると、考えてしまいます。
でも、そうではなく、闇であったり、閉塞感であったり、分離した感じであったりしているのも、それもあなたが認識している世界なのです。
あなたが認識する世界は、常にあなた自身の感覚の状態、取り込んでいる感覚の情報によって、創造されます。
目の前に、キャンバスがあると思って下さい。
このキャンバスが、あなたの世界なのです。
そこにどんな色を塗りたくろうと、あるいは何も塗らない、白い状態であろうと、それがあなたの世界です。
他の人のキャンバスに、似たような絵が描かれていたとしても、あなたとその人のキャンバスは別々です。
すなわち、あなたとその人が認識している世界は、それぞれの独自の世界であり、別物なのです。
視点に話を戻しますが、見る位置が違えば、必ずそこに描かれる絵は、違うものになります。
また、同じ物を表現するにも、色の使い方は人それぞれです。
青い物を、わざと赤くしようと思う人も、いるかもしれません。
抽象画のように、目に見える形ではなく、その形に隠されたエネルギーを、表現しようとする人もいるでしょう。
机に置かれた鉛筆を見て、何も思わない人もいなければ、鉛筆が絡んだ思い出を、思い出す人もいるはずです。
それによって、鉛筆のとらえ方が違って来るでしょう。
見ている物をどうとらえるかで、あなたの世界の色合いは、大きく違って来ます。
浜辺の砂や小石を見て、何も感じないのか、そこに自然の不思議さを感じるのか。
食卓に出された食事を見て、美味しさしか判別できないのか、その食事が完成するまでの、それに関係した、いろんな人々の想いに心を寄せられるのか。
森の木々を見て、そこに生命を感じられるかどうか。
自分が人間として生きていることを、全然不思議に思わないのか、深く考え、その理由や意味を追求しようとするのか。
物事をどうとらえるのかは、その人の自由です。
こうでなければいけないという理由は、どこにもありません。
ただ、感性豊かな人ほど、素晴らしい絵を描けるように、いろんなことを考え理解できる人ほど、豊かな人生を送れるのは事実でしょう。
豊かな人生を送りたいと思うなら、いろんなことを深く感じ、理解するように努めてみて下さい。
あなたのキャンバスに描かれる、あなたの人生は、個性的で素敵なものとなるはずです。