1+1=1
1と1を足せば2ですね。
それは数学の常識であり、日常的にも当たり前のことです。
しかし、1+1を計算ではなく、感覚的に理解すると、答えは2ではないのです。
たとえば、青いスポットライトと、黄色のスポットライトがあるとしましょう。
1+1=2の認識では、青いスポットライトの横に、黄色のスポットライトを並べた格好です。
でも、光は同じ場所に重なることができます。
青いスポットライトに、黄色のスポットライトを重ねると、スポットライトの数は一つだけです。
つまり、1+1=1ですね。
また、スポットライトの色は緑色です。
青と黄色しかない所に、緑という色が生まれたのです。
これは新しい感覚が生まれたと言えるでしょう。
別の例を挙げましょう。
右目と左目のそれぞれで、自分の周囲を見て下さい。
どちらも平面的な映像だと思います。
右目に見える映像と、左目に見える映像を、それぞれ単なる映像の情報だと考えれば、二つの映像情報があるということになります。
1+1=2です。
でも実際には、両方の目の映像を混ぜ合わせて、感覚的には一つの映像しか見ていません。
1+1=1です。
しかも、その映像は立体映像であり、片方ずつの目で見ている感覚からすれば、新しい感覚です。
音についても、同じことが言えます。
左右の耳でそれぞれ聞く音を、同時に聞くことで、私たちはそこに、音響的な空間を認識します。
これも片側ずつの耳の情報からすれば、新しい感覚です。
人々は世の中を善と悪や、光と闇に分けて見るのが好きですよね。
でも、善と悪あるいは光と闇がある、という考え方は、1+1=2の考え方です。
善と悪や、光と闇という考え方は、対立の構図です。
互いに自分は善で、相手は悪だと決めつけていると、争いはいつまで経っても終わりません。
これを1+1=1の考え方でとらえてみると、どうでしょうか。
それは善と悪の両方の意味を理解し、自分も含めた全ての人が、そのどちらでもないとわかることです。
見た目や考えの違いから、自分と相手は違うという発想では、決して辿り着くことのない、境地が得られるのです。
それは人類はみんな兄弟であり、家族だという感覚的な理解です。
感覚的に理解するということは、そこに相手を排除しようという発想は、出て来ません。
世界は全く違うものになります。
つまり、世界を認識する新たな感覚が、生まれるわけです。
全ての存在が、全ての源から分離して、生まれたと理解するならば、どんなに自分と違ったように見えるものでも、自分の兄弟・家族なのだと知ることになります。
そうやって、一つ一つを自分と同じなのだと知って行くことで、私たちは新しい世界観を、手に入れることができるのです。
そして、それこそが本当の進化なのです。