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世界について考えよう その1

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世界について考えると言っても、今の世界情勢について考える、という意味ではありません。

世界とは何なのか、ということについて、考えて欲しいのです。

世界は、私たちが生まれた時からありますし、死んだ後も存在していると思われます。

何故なら、誰かが死んでも、世界は消滅しないからです。

それは間接的に、自分が死んでも世界は消滅しない、と示されているようなものでしょう。

しかし、それでわかるのは、世界の性質の一面だけです。

世界が何であるのかを、理解しているとは言えません。

 ※Oleg GamulinskiyさんによるPixabayからの画像です。

科学が発展して、ミクロよりも微細な素粒子の世界から、宇宙全体を眺める宇宙論など、この世界を知るための手がかりが、増えてはいます。

でも、まだ世界を解明できたとは言えないでしょう。

世界を理解するということは、私たち人間を理解するということに、つながります。

人間は世界の一部だからです。

 ※TumisuさんによるPixabayからの画像です。

科学は客観性を重要視します。

観察者と観察の対象を、別々のものとするわけです。

そのため、世界を自分と切り離した形で、理解しようとするのですが、それでは理解ができません。

人間に心があるのを認めても、他の生き物に心があるとは、素直に認めませんし、ましてや植物や鉱物などにも心があるなんて、有り得ないと考えるのです。

しかし、心がある自分が世界の一部であるならば、世界そのものに心があっても、不思議ではないし、何も矛盾しないと理解ができるでしょう。

世界に存在する、あらゆるものに心があると考えたら、素敵だとは思いませんか。

人間の意識は、人間の心が頭脳を介して、変換されたものだと考えてみて下さい。

動物の意識は、動物の心が同様に変換されたものです。

頭脳を持たない、植物や鉱物などはどうでしょうか。

それらの心は、心のままなのかもしれませんが、頭脳を介したのとは別の、意識形態を持っている可能性もあるでしょう。

 ※Sven LachmannさんによるPixabayからの画像です。

たとえば、心を水にたとえてみると、川の流れが意識です。

心である水が、川という形を持ったのが、意識なのです。

しかし、川ができるためには、大地が必要です。

水と大地の協力によって、初めて川の流れは、成立するのです。

この大地が、いわゆる物質エネルギーだとしましょう。

心である水が、物質エネルギーである、大地と重なった時に、意識である川の流れが生まれるのです。

そして、川の流れを意識とすれば、川の流れを形作る地形、すなわち谷や河原や川底などは、人間で言えば、頭脳になるのです。

 ※KanenoriさんによるPixabayからの画像です。

川にもいろいろあるように、意識の形にも、いろいろあると考えられます。

人間の意識を作るような川は、複雑な形をしているでしょう。

一方、植物や鉱物の意識を表す川は、とても単純な形だと思われます。

 ※Alex HuさんによるPixabayからの画像です。
 ※David MarkさんによるPixabayからの画像です。

そんな感じで、世界中は心あるいは意識にあふれた所だと、考えることができるでしょう。

他の存在と、心を通わせることができたなら、それは互いの心が、繋がっているということです。

動物を家族のように見る人は、動物と心が繋がっています。

植物に話しかける人は、植物と心が繋がっています。

山を崇めたり、海に感動する人は、山や海と心が繋がっています。

夕日に涙を流し、壮大な宇宙と一体感を感じる人は、太陽や宇宙と心が繋がっています。

このように、他の存在と心を通わせている、自分に気がついた時、私たちは世界と自分が一つであると、知ることができるのです。

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像です。