不安を煽る者 その2

不安を煽る者は、自分の周辺にいるだけではありません。

自分自身の中にもいます。

何かを決断しようと思った時、本当にそれでいいのか、と決断にブレーキをかけようとする、もう一人の自分がいますよね。

そのブレーキが適切な場合もあれば、不適切な場合もあります。

馬鹿なことをしようとするのを、思い止まらせてくれるのであれば、適切なブレーキです。

しかし、進むべき所を引き止めようとすのは、不適切なブレーキです。

今の仕事が自分に合わない。
職場での人間関係が耐えられない。
今の仕事の賃金では、生活が維持できない。

様々な理由で、転職を考えることがあるでしょう。

いろいろ悩んで、よし、別な所で働こうと思っても、いざ、行動を起こそうとする時に、本当にいいのかと、不安を煽る自分が現れると、決意した気持ちが萎んでしまいます。

 ※Thomas WolterさんによるPixabayからの画像です。

仕事が合わないと言っても、そんなのは、みんな同じでしょ。
そんなのは当たり前で、みんなそれを我慢してやってるんだから。

こんな風に囁く自分が、いるかもしれません。

また、実際にそう言って諭そうとする人物が、身近にいることもあるでしょう。

だけど、その言い分が正当であるという根拠は、どこにもないのです。

どうして我慢してまで、やらないといけないのか。

みんながやっているというのは、理由になりません。

みんなが騙されているかもしれませんし、そもそも誰のことを、みんなと言っているのかわかりません。

我慢している人がいても、それはその人の勝手であり、他の者には関係のないことです。

人間関係に耐えられないとか、賃金が安過ぎるということも、みんな、それで我慢してるんだ、ということを、相談した相手から言われるかもしれません。

自分の中の不安な部分は、そういう言葉を真に受けます。

それで、仕事を辞めたいという自分を、押さえつけようとします。

でも、これも根拠のない話ですから、従う理由などどこにもありません。

それでも、じゃあ辞めようと思うと、不安な自分は、今度はこう言うのです。

この仕事を辞めたところで、他にどんな仕事がある?
今のご時世、どこへ言っても同じだよ。
そこで一から始めるなら、ここで頑張る方がましだって。
何の取り柄もないくせに、ここを辞めて何ができるの?

こんな考えが心に広がると、辞めようという決意は揺らぎます。

でも、ここでもう一人の自分に言いましょう。

 ※Peggy und Marco Lachmann-AnkeさんによるPixabayからの画像です。

世界中にどんな仕事があるのか、全部調べたわけでもないのに、偉そうなことを言うな。
取り柄がないのは、そっちだろ?
誰もが同じ人間なんだから、やろうと思えば、何だってできるんだよ。
また、うまく行かなければ、うまく行くまで続けるだけさ。
余計なこと言わないで、黙って見てろって。

これは自分に対する宣言です。
こう言えば、不安を煽りたくなる自分は、何も言い返せません。
また、本来の自分も、宣言した以上、絶対にやってやるぞと、気持ちが奮い立ちます。

あとは、こうだからできないとか、こうだったらできるのに、と否定的な考えを持たず、とにかく黙々と思った方向へ、突き進むだけです。

途中に山あり谷ありでも、それが人生です。

その山や谷も、あとで振り返れば、思い出深いものになるものです。

山や谷を恐れなければ、必ず目的地にたどりつけますし、不安に悩むこともありません。

不安とは、自分の人生を受け入れる、覚悟のなさなのです。