コスモアイル羽咋の話 その5

表題には「コスモアイル羽咋の話」とありますが、内容は高野誠鮮(たかのじょうせん)さんの、その後の話です。

高野さんがコスモアイル羽咋を造ってから後の話です。

宇宙科学博物館「コスモアイル羽咋」を造った後、高野さんは新任の上司とぶつかり、農林水産課へ異動させられました。

そこで高野さんは、市内で最も人口減少が顕著で疲弊していた、神子原(みこはら)地区について、市長から二つの命題を与えられました。

それは次のものです。
(1)過疎高齢化集落を活性化する。
(2)農作物を1年以内にブランド化する。

神子原地区は3集落からなる中山間地域で、 住民の半数以上を65歳以上が占める、 高齢化率が54% の限界集落でした。

高野さんが市長から指示を受けたのは、2005年のことですが、その前年の12月末の神子原地区は、 169世帯527人でした。

若者の離村による後継者不足と廃屋の増加、冬の豪雪や急傾斜の農地などの耕作不利による放棄地の増加も目立ち、集落機能が失われつつある状態だったと言います。

それを高野さんは見事に改善し、若者の神子原地区への移住を促進させ、年収87万円だった農家の収入を、月30万の収入(つまり年収360万円)に引き上げました。

この農家の収入を増やすためにとったのが、ブランド戦略でした。

神子原地区のお米をブランドにしようと考えたのです。

具体的にやったのが、ローマ法王に神子原のお米を、献上するというものでした。

これに日本のローマ法王庁大使館が協力してくれて、日本からローマ法王に、初めてお米が献上されることになりました。

この話は大使館の広報から、「日本のキリストの高原という聖なる名前の土地から、法王様にお米が献上されることになった」と世界中に伝えられました。

すると問い合わせが殺到し、お米はあっと言う間に、高値で売れてしまったのです。

それから今度は、神子原地区の農家でお金を出し合った、株式会社「神子の里」を立ち上げ、地元の商品販売を始めました。

また、「奇跡のリンゴ」で知られる木村秋則さんに協力してもらい、神子原地区で自然栽培を始めました。

農協では農薬や除草剤、化学肥料を販売しているのですが、高野さんは 地元の農協 「JAはくい」 を巻き込んで、「JAはくい」が自然栽培の指導をできるようにしました。

つまり、羽咋では市とJAがタッグを組んで、自然栽培の聖地を作ることにしたのです。

これは本当に画期的なことです。

これからの日本の未来を先取りした町作りを、羽咋市が始めたということなのです。

今では米以外にも約40品目の野菜も作り、 市内の全小中学校の給食にも、出せるようになっています。

こういったことは、これから全国のあちこちへと広がって行くことでしょう。

こうして自然栽培に関わることになった高野さんですが、高野さんは自然栽培を、畑の全ての生き物の存在を認める農法だと、理解しています。

また、人間社会も全ての人の存在を認め、みんなが平等に生きられる社会を目指すために、宗教が存在すると高野さんは言われます。

ありのままのものに、余計なものはないと、法華経でも伝えているそうで、仏教の思想と自然栽培は、重なり合うものがあるのだそうです。

つまり、自然栽培を広げることで、自然に人々が仏教の教えを、理解するようになるということでしょう。

今は公務員も退職され、お寺の仕事が中心の高野さんですが、「自分が生きている間に、多くの人が喜ぶような、自分自身が楽しいと感じられることを続けていきたい」と仰っています。

この言葉が、高野さんの生き様を的確に表していますし、他の人に一番伝えるべき、大切なことなのだと思いました。