コスモアイル羽咋の話 その4
高野さんが計画し、国から52億6千万円の予算がついた、博物館建設ですが、ホールや図書館などの建設費や、用地買収費用などで、予算のほとんどがなくなりました。
肝心の展示物に使えるお金は、たったの2億円しか残らなかったのです。
入り口に実物大のロケットのレプリカを、置きたいと高野さんは考えていました。
でも、それだけで1億6千万円かかります。
そんな中、アメリカのスミソニアン博物館を見学した高野さんは、そこに展示されている物が、全て本物であると知らされます。
そして、本物だからこその迫力が、博物館の価値を生むのだと悟ります。
しかし、予算はありません。
高野さんはNASAを訪れ、いろんな機材が借りられると知り、様々な物を100年間借して欲しいと、申請しました。
それを向こうの人は、笑いながらも認めてくれたのです。
その費用は、驚くなかれ0円でした!
また、博物館の前に展示するロケットも、ただ同然で譲り受けることができました。
NASAの次はロシアです。
当時はソ連が崩壊して、ロシアになったばかりでした。
旧ソ連の軍人は、国が所有していた物を、こっそり売り払って、そのお金を懐に入れていたと言います。
そんな軍人たちを通して、高野さんはロシアの宇宙船を手に入れました。
相手は軍人なので、怒らせるとどうなるかわかりません。
宇宙船を買い取る時、高野さんはアメリカのNASAに仲介してもらい、相手にも宇宙船をアメリカヘ運ばせました。
実際、買い取る時になって、相手は素知らぬ顔をして、始めに交渉していた金額の、10倍の金額を要求して来ました。
高野さんが欲しいのであれば、ふっかければ高額のお金が、手に入ると踏んだのでしょう。
しかし、そこは高野さんです。
その金額だったら、いらないから国に持って帰れと、相手の言い値を蹴飛ばしたんですね。
その時の軍人の目は、殺してやるという怒りに満ちたものだったそうです。
交渉場所がロシアであれば、殺されてお金を奪われていたかもしれません。
結局、初めの値段で宇宙船を売ると、相手が折れました。
購入したのは、「ヴォストーク宇宙カプセル」、「モルニア通信衛星」、「無人月面探査機ルナ24号」の3機。
これらを一つ1000万円ほどで手に入れたので、格安でした。
こうして、高野さんは羽咋市に本物の宇宙博物館、コスモアイル羽咋を設置できました。
宇宙へ飛び立つ、宇宙飛行士たちの話には、誰もがはらはらどきどきさせられますが、コスモスアイル羽咋を完成させるまでの、高野さんの仕事にも、はらははらどきどきさせられます。
できれば、ぜひ一度お会いして、直接いろんな話を、お聞かせいただきたいものです。
本当に、こんなことってあるんだなぁと、高野さんには改めて感動してしまいます。
ちなみに、 コスモアイルとは、「宇宙の出島」という意味だそうです。
出島と言えば、長崎の出島です。
鎖国中の江戸時代、外国と交流できた所ですね。
外国船である黒船の来航は、日本に世界を意識させました。
現代の黒船であるUFOは、人間に宇宙を意識させ、地球上の問題を解決へ導いてくれるかもしれません。
そんな宇宙人たちとの交流を、宇宙の出島として導こうという想いが、コスモアイルという名称に込められているそうです。