一冊の本

 ※S. Hermann & F. RichterさんによるPixabayからの画像です。

本の中には、それを書いた人の想いが、表現されています。

どんな本であれ、それはその人の心を、本の形として表したものです。

物語を読むということは、その人の心の中にある、もう一つの世界をのぞかせてもらうわけですね。

でも、それは本に書かれた文字が、理解できればの話です。

文字の意味がわからなければ、何かが書かれていることはわかっていても、その中身はわかりません。

文字というものを知らなければ、それが本であることすら、理解できないでしょう。

本を持たされても、パラパラページをめくるしかできず、面白くも何ともありません。

精々できることは、どれだけ早くページをめくれるかという競争や、自分勝手にページに落書きをするか、ぐらいのことでしょう。

あるいは、玩具代わりにするのでしょうか。

 ※Trương Hoàng Huy NgânさんによるPixabayからの画像です。

この世界を一冊の本に喩えてみましょう。

「この世界」というタイトルの本に書かれた文字を、どれだけ多くの人が、理解しているでしょうか。

つまり、この世界がどんな所であるのか、どうして私たちはこの世界にいるのか、などが書かれてあると、理解している人が、どれだけいるのかということです。

理解している人は、それなりの生き方を送っていると思います。

しかし、理解できていない人は、退屈な日々を機械的に過ごすだけ、あるいは自分勝手な世の中のルールを作り、それにみんなを従わせようとするのでは、ないでしょうか。

 ※Florin RaduさんによるPixabayからの画像です。

自分が理解しているなんて、どうしてわかるのかと、文句を言われそうですね。

これは感覚の問題です。

私たちは、この世界を自分の五感でとらえています。

言い換えれば、五感によって世界はこんな風なんだと、認識しているわけです。

あなたが目を閉じれば、世界は暗闇に包まれるでしょう。

産まれた時から、ずっと目を閉じた状態であれば、光が何かもわかりません。

でも、それがあなたにとっては、普通の世界なのです。

また、何かに注目している時、そのすぐ脇に何かが置かれていても、あなたは気がつかないでしょう。

何かに夢中になっている時、呼びかけられても、わからないのも同じです。

 ※Abdulmomn KadhimさんによるPixabayからの画像です。

本当は見えているはずなのに、本当は聞こえているはずなのに、あなたがそこへ意識を向けなければ、見えるものも見えないし、聞こえるものも聞こえません。

それと同じように、いわゆる五感以外にも、私たちには世界をとらえる感覚があります。

その一つは、気配を感じるというものです。

誰もいないのに、そこに誰かがいるように感じたり、誰かの視線を感じたりする、あれです。

これも何かに気を取られていては、何かの気配があったとしても、気がつかないでしょう。

ぼんやりして五感から意識を外していると、他の感覚に気づきやすいと思います。

お風呂に浸かっている時に、はっと何かを思いつくのも、別次元からのテレパシーかもしれません。

これも五感とは別の感覚です。

このように五感以外の感覚の存在を認めると、世界に対する認識は、大きく違ったものになります。

そこから世界の構造などについて考えると、科学的な知識もレベルアップするでしょう。

そういったことが、「この世界」という本の言語を、読み取るということなのです。

世界観が変われば、必ず生き方も変わって来ます。

少なくとも今の生き方に、疑問をお持ちの方は、ぜひ「この世界」の言語を読み解いてみて下さい。

 ※ThePixelmanによるPixabayからの画像です。