コスモアイル羽咋の話 その3
高野さんが考えるUFO国際会議とは、NASAの宇宙飛行士や、ソ連の科学者を呼ぶという、大がかりなものでした。
当時はアメリカとソ連が、冷戦下にありました。
当然、簡単なものではありませんが、その前に、まず予算が足りません。
6000万円かかるところ、企業を回って出資を求めたら、4000万円が集まりました。
でも、公務員が金集めをするのかと、地元の自民党議員に反対されて、資金集めは中断となります。
そこで、高野さんがとった方法はというと、何と、総理官邸への電話でした。
何のつてもありませんでしたが、「こちらは石川県です」と言うと、向こうが勝手に、石川県庁と誤解したそうです。
当時は海部内閣だったのですが、海部総理の首席秘書官が、これまた何と、羽咋市の出身だったんです。
この秘書官は、羽咋市に恩返しがしたいと言うので、国際会議に向けて総理に激励のメッセージをいただきたい、と高野さんはお願いしたそうです。
すると、 総理直筆の「大成功裏に終わられんことを祈ります」と書かれたファックスが、届いたのです。
自民党トップの激励があるのですから、資金集めに反対した議員も、反対はできません。
こうしてUFO国際会議は大成功に終わりました。
人口2万人の町に、九日間で4万5千人が来場したのです。
出店のたこ焼き屋さんが、100万円を稼いだという盛況ぶりでした。
これに市長が感激して泣き、役所の人々や、集まった町の人たちが、みんな泣いたそうです。
それまで、市長も市民も感激に涙するという、イベントはなかったのですね。
もちろん、そんなことは他の所でも、滅多にあることではありません。
高野さんの活動は、町中の人の心を、大きく動かしたのです。
市役所の正職員として、認めてもらえた高野さんは、UFOの町の拠点となる、博物館の建設に乗り出します。
当時、旧自治省のリーディングプロジェクト、というものがありました。
地域活動の核となるような、先導的役割を果たすプロジェクトのことです。
高野さんがこれに応募したところ、UFOによる町おこしが面白いと評価され、採用されることになりました。
そして、国から52億6千万円の予算が下りたのです。
予算は0だったはずなのに、こんなことってあるんだなぁと、とても不思議な感覚を覚えてしまいます。
でも、まだ話は続きます。
高野さんが目指したのは、ただの博物館ではなく、本物の博物館でした。