> 社会 > いい話 > コスモアイル羽咋の話 その2

コスモアイル羽咋の話 その2

この記事は4で読めます。

どうやって町おこしをするか。

高野さんは、町おこしをするためには、まず町に住む人々の心おこしを、しなければならないと考えました。

それで、町の自慢できるものを発掘しようと、「羽咋ギネスブック」8000部を自費で作り、住民に配ったそうです。

このギネスブックと作っている時に、高野さんは興味深い古文書を見つけました。

それは、「そうはちぼん」と呼ばれる謎の飛行物体が、羽咋で頻繁に目撃されていたというものです。

「そうはちぼん」とは、 日蓮宗で使われるシンバルのような仏具のことで、その形は鍋の蓋みたいなのだそうです。

それで、これはUFOのことではないかと、高野さんは鳥肌が立ったと言います。

私も「そうはちぼん」を調べてみましたが、石川県に伝わる怪火で、「秋の夜、眉丈山の中腹を東から西に、不気味な光を放ちながら群れて移動する」とありました。

これは、まさしくUFOではないかと思います。

また、高野さんが日蓮宗のお寺の僧侶であることも、偶然ではないように思いました。

これは町おこしに使えると直感した高野さんは、この古文書一つで、 「石川県羽咋市はUFOでまちづくりをします」 と他県へ表明しました。

また、「UFOのまちづくりを始めました」と、海外メディアにも伝えたのです。

すると、旧ソ連や南米最大の新聞が、これを現地の社会面のトップ記事にしたそうです。

当時、崩壊したベルリンの壁の土で、土産物としてUFOの土鈴「ベルリンリン」を作り、宇宙から見れば国境などないと訴えると、これがドイツで取り上げられました。

そして、続いて日本でも話題になったのです。

いくら何でも古文書だけでと、思いたくなりますよね。

それでも高野さんは、古文書だけでできることを、とことんやり抜いたのです。

その結果、他県から来た人たちに羽咋の人たちが、 「おたくってUFOの町なんですね」 と言われ、そうなのかという意識が、町に広がったと言います。

古文書以外にも、こんな話もあります。

高野さんは、UFOによる町おこしに賛同してくれたメンバーに、うどん屋の息子さんがいたそうで、「UFOうどん」を作って宣伝しようとしたのですが、親父さんである店主が猛反対。

ところが高野さんはあきらめず、店の親父さんが留守で、息子さんが代わりに店をしている日を狙い、東京から週刊プレイボーイの記者を呼びました。

記者の前に置かれたのは、一杯のうどん。

うどんの上には、三角に切った油揚げがあり、油揚げの下の部分に、半円のナルトが2つ。
UFOのつもりですね。

これを見せられた記者は、しばらく沈黙したあと、「おもしろいじゃない。これ」と話に乗ってくれました。

そして、古文書とUFOうどんしかないのに、6ページの記事を書いてくれたそうです。

それで、UFOうどんを求める客が、県外から殺到したのですが、うどん屋の親父さんは、何も知りません。

客から見せられた週刊誌に、嬉しそうにUFOうどんを差し出す、息子の写真が載っているのを見て、大激怒したそうです。

でも、あまりの大人気に、親父さんもUFOうどんを、認めてくれました。

すると、他の店もあやかって、UFOラーメンとか、UFOケーキとか、UFOお好み焼きとか、次々にUFOブームが町に広がり、高野さんの思惑どおりになりました。

高野さんは固定観念に囚われず、いいと思ったら、途中で諦めないでとことんやることが、大切だと仰っています。

私も全くそのとおりだと思います。

とは言っても、高野さんが出したアイデアは、普通に考えれば、笑い物になるだけだと、思われるようなものばかりです。

それでも、それがことごとく、うまく行くのは、高野さんが素晴らしい策士であると同時に、うしろで何か大きな力が、働いているようにも思えます。

こうして羽咋の町は、UFOで賑わうようになりました。

次に高野さんが考えたのは、UFO国際会議です。