人を呪わば穴二つ
「人を呪わば穴二つ」
人を呪わば穴二つとは、人に害を与えようとすれば、やがて自分も害を受けるようになるというたとえだと、辞書には書かれています。
ここで言う穴とは、死んだ人の遺体を入れる、墓穴のことです。
元々、この言葉は平安時代の陰陽師に、由来があるそうです。
陰陽師の仕事の中には、誰かを呪い殺すというものが、あったと言います。
しかし、その際に呪いを返されて、自分も死ぬかもしれないので、墓穴を二つ用意しておいたそうです。
誰かに呪いをかける時の、陰陽師の覚悟を示した言葉だったのですね。
このことから、人の不幸を願ったりすると、自分も不幸になるぞという戒めの言葉として、この言葉が使われるようになったそうです。
そうは言っても、誰かにひどいことをされたりすると、その人がひどい目に遭うことを、願ってしまいますよね。
人によっては、その場で相手にやり返したり、あとになってから、嫌がらせなどで復讐を、果たそうとするかもしれません。
でも、そんなことができない人は、神でも悪魔でも誰でもいいから、自分に代わって、相手に罰を与えて欲しいと願うでしょう。
でも、実際に誰かの不幸を願うことで、自分が同じ不幸になったりするのでしょうか。
たとえば、誰かの死を望んだところ、相手が死んでしまった場合、自分も死ぬのでしょうか。
実際に、こんな経験がある人から、話を聞くことはできませんから、絶対にないとは言えませんが、あるとも言えません。
死とは別の形の不幸が、訪れるというケースが、あるかもしれませんが、それも断定はできません。
人の命を何とも思っていないような独裁者が、自分に逆らう者の命を、簡単に奪いながら、本人は何年もの間、生き長らえて権力を握り続けている、ということはありますよね。
独裁者に殺された人の家族や仲間が、独裁者を呪ったところで、命を奪われるのはその人たちの方で、独裁者は平気なままです。
人を呪っても穴一つ、ですね。
もちろん人間ですから、どんな独裁者にも、いつかは死が訪れます。
それで何年も好き放題してから、ようやく独裁者が死んだとしても、多くの人を殺した報いだとは、誰も思わないでしょう。
こうなると、人を呪わば穴二つ、という言葉は、全くの無意味に思えてしまうかもしれません。
でも、別の視点から見ると、この言葉が間違っていないことが、わかります。
それは、人間をエネルギー体として、見るということです。
また、人間の成長あるいは進化が、振動数の増加によって、表現されると考えて下さい。
人に害をなすような人の振動数は、とても低いものです。
成長や進化など、望むべくもない状態です。
植物で言えば、日が当たらない所で、成長もできずに痩せ細った、貧弱な幼木でしょう。
そんな振動数の低い者と接触してしまい、とても嫌な目に遭わされると、その相手を呪いたくなります。
でも、その時の自分のエネルギーを、見ることができれば、恐らく相手と同じ振動数に、なっていると思います。
嫌な相手に波長を合わせてしまうため、自身の振動数が相手と同レベルに、なってしまうのです。
本当であれば、真っ直ぐ立派な樹木に育つはずが、今にも萎れそうな幼木に引き戻され、そのまま成長を止められてしまうわけですね。
自分が進化するエネルギー体であると、認識していなければ、嫌な相手のことを、ずっと呪い続けるでしょう。
また、嫌な目に遭わされた自分を哀れむと同時に、何もできない無力で情けない奴だと、自分自身を見下してしまうかもしれません。
こうなると、嫌な相手が近くにいなくても、自分で自分を永遠に貶め続けることに、なってしまいます。
何をやっても楽しくなく、世の中で自分一人だけが、取り残された不幸者だと、信じてしまうのです。
相手を呪った結果、自分自身が呪いを受けた状態ですね。
この呪いを受けないようにするには、誰のことも呪わないことです。
嫌な想いをさせられても、そんなことは忘れて、自分が楽しいことに集中するのです。
自分を相手と同じ低い振動数に、置かないということです。
それでも、された事を忘れたくても、忘れられないと言う人はいるでしょう。
何が起きたのかは、覚えていてもいいのですが、その時の感情までも、引きずる必要はありません。
覚えてはいるけど、気にしなくなる。
これがコツだと思います。
そんなのは無理だと、あきらめるのは自由です。
でも、つらいのが嫌なら、嫌な感情を捨て去る努力は、必要でしょう。
すでに自身が呪いを受けている状態の時も、やることは同じです。
そこから抜け出したいのであれば、繰り返し努力をして下さい。
一回では無理でも、何度も繰り返しているうちに、必ず嫌な感情は薄れて行きます。
とにかく、嫌なことに気持ちを向けるのではなく、自分の振動数を上げるということに、専念して下さい。
自分の振動数を上げるとは、自分らしくあるということです。
それが全てだと思います。