無観客 その1
試合や大会、コンサートやお芝居など、イベントには観客や聴衆が付きものです。
しかし、コロナ騒ぎの中、感染を恐れて、観客の数を制限したり、無観客にするということもありました。
コロナ感染者の数が減るにつれ、観客数の制限が撤廃されて来ましたが、オミクロン株の猛威が広がり、海外では再びロックダウンを行う所が出て来ました。
そうなれば、無観客どころか、イベント自体ができなくなります。
これまでも観客の声を聞けず、活躍の場を失った、多くのアスリートやミュージシャン、アーティストの方たちは、再び同じ状況になるのかと、戦々恐々としていることでしょう。
ひどい孤独感や、先々への不安に襲われて、精神的なダメージを受ける人も、いたと聞いています。
それでも、その方たちを応援する人たちは、実際にはたくさんいて、再び活躍を見せてもらえることを、心待ちにしているのです。
しかし、陰で応援してもらっているからと言っても、経済的困窮を救ってもらえるわけではありません。
そこは自分でいろいろ考えたり、工夫をする必要があります。
でも、それをするにしても、自分を待ってくれている人がいる、応援してくれている人がいるんだ、という想いが、あるかないかでは、全く違う結果になるでしょう。
これまでは、通常の流れに乗ってされいれば、全てが順調に行ったのかもしれませんが、今は自分の力で、状況を切り抜けて行くということが、求められているのです。
ここでいう自分の力とは、全くの自分一人の力でもいいのですが、仲間同士で協力し合うことも含みます。
自分の力、あるいは自分たちの力、ですね。
つまり、既存の道ではなく、新たな道を切り開くということであり、それが今の社会全体の様々な所で、求められているのです。
一つの場所で見つけた新しい道が、他の所でも活用できたり、別の場所ではそこから飛躍した、さらに新しい道が創られるかもしれません。
みんな、自分だけのことを、やっているように感じてしまうでしょうが、実際は社会全体で、それぞれの担当部署の改革を、任されているわけです。
独りぼっちでやっていると思うと、なかなかしんどいことも、顔も名前も知らない人同士で、協力し合いながら、新しい社会を創っているんだ、と考えると、やり甲斐が湧いて来るのではないでしょうか。
見えない所で、自分を応援してくれている人々の存在を、きちんと認識できれば、社会における自分の役割が、はっきりと見えて来ると思います。
実際の観客や聴衆がいないから、何もできないし、やったとしても、モチベーションが上がらない、などと言っているうちはだめです。
それでは、周りの状況に押し流されているだけで、自分の本当の力を、発揮しているとは言えません。
そこに人の姿がなくても、目には見えない、人々とのつながりを感じていれば、愚痴をこぼしたりしないで、今の自分にできることを、模索すると思います。
無観客の状況は、目に見えない人とのつながりを、再認識させてくれる機会だと言えるでしょう。