相対的な世界 その5
私たちは、この世界を当たり前のものだと、受け止めていますし、この世界が唯一の世界だと、信じています。
でも、本当はそうではないのです。
私たちは心の存在であり、本来は意識の世界に属しています。
そこは、この世界とは別の世界です。
その世界で、あなたは全てを理解する力があったはずです。
それなのに、あえて自分を制限するこの世界へ、飛び込んで来たのです。
それは、エキサイティングだからかもしれません。
あるいは、個の存在という体験を通してのみ、得られる情報があるのだとも、考えられるでしょう。
この世界には様々な生き物、様々な波長の異なる存在が、混在しています。
向こうの世界では、出会うことがむずかしい存在と、この世界を通して出会うことも、目的の一つかもしれませんね。
本当は、自分は心の存在で、姿形を持たないのだと考えてみて下さい。
この世界には、何かを学ぶために、やって来たのだと思うのです。
それは、肉体という乗り物を、利用しての探索です。
こう考えると、自分の体が、とても面白く、とても愛しく思えます。
一歩一歩、地面を踏みしめて歩くことが、とても興味深く面白いのです。
一歩足を進めるたびに、体の中で、大小様々な筋肉が、絶妙なバランスで伸び縮みします。
あなたが思ったとおり、動くのです。
体に不自由な所があったとしても、それは自分が選んだ体です。
その不自由さに、何かの意味があるのでしょう。
不自由ながら体を動かすことは、やはりエキサイティングなのだと思います。
そして、周りに見えるいろんな物、いろんな風景。
普段は見過ごしているでしょうけど、考えてみれば、どれ一つとっても不思議なものです。
地面の土や石ころも、愛らしい草花や、立派な木々も、当たり前に目にする犬や猫たちも、あなたとは違う意識たちです。
この世界を経験した者でなければ、向こうの世界では、出会うことがない意識たちなのかもしれません。
どうですか?
こんにちは、と声をかけたくなりませんか?
せっかく、いろんな意識に出会えるのに、人間同士で固まっているのは、もったいないと思いませんか?
この世界が相対的なのは、相対的でない世界の者が、様々な経験や学びを行うために、あるのだと思います。
ですが、自分が何者なのかを忘れたままでは、せっかくの経験や学びが、うまく活かされないかもしれません。
だからこそ、自分とは何なのか、心とは何なのか、深く考える必要があるのです。
面白いですから、ぜひ考えてみて下さい。
そして、心の存在として、この世界や自分が置かれた環境を、眺めてみて下さい。
きっと、これまでとは違う風景が、見えて来るでしょう。
また、これまで悩んでいたことにも、新たな答えが見つかることと思います。