相対的な世界 その4
私たちが暮らしているのは、相対的な世界ですが、相対的ではない世界というものが、存在するのでしょうか。
たとえば、大きいか小さいかと言うのは、大きさがあるということです。
大きさがなければ、大きいのか小さいのかなんて、わかりません。
前か後ろか、右か左か、上か下か。
これも形があるから、言えることです。
形がなければ、前後、左右、上下の、いずれも決めることはできません。
つまり、姿形がない世界ならば、空間的な相対性というものは、成立しないわけですね。
そんな世界があるのでしょうか。
あります。
それは心の世界です。
心の中でも、夢や空想のように、この世界と似たような空間が形成されると、そこには空間に伴う相対性が生じます。
しかし、瞑想状態のように、ただぼんやりと、意識の存在を感じているだけの時には、空間に伴う相対性はありません。
そんな意識が集まる世界であれば、そこには相対性がないと言えるでしょう。
それは、いわゆるあの世であったり、この世界とは別次元の所かもしれません。
心というものは、本来そのような空間に制限されない世界に、属しているのだと思われます。
また、パラレルワールドにいる自分の分身たちの、意識が統合されるのも、そんな意識の世界でしょう。
そうだとすれば、そこでは今の自分と別の自分の区別が、曖昧になるでしょう。
過去や未来の自分というものも、そこに統合されるとも考えられますね。
すると、そこには現在・過去・未来が、重なって存在するでしょうから、時間による相対性も失われます。
逆に考えれば、そんな相対性のない世界の者が、この世界に生まれ出るということは、とても冒険的なことだと言えます。
何故なら、時空間という制限を受けず、様々な情報を瞬時に手に入れられる者が、肉体という窮屈な「自分」に押し込められ、今ここという情報しか、手に入らなくなるのです。
私たちが、死んでこの世を離れることに、不安を覚えるのと同じように、向こうの世界から、こちらへ産まれることは、とても勇気がいることでしょう。
誰のことを話しているのか、わかりますか?
それは、私やあなた、あるいは他の人々みんなです。