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相対的な世界 その3

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 ※Sasin TipchaiさんによるPixabayからの画像です。

自分は恵まれていない。

この発想は、自分と他人を比較して、初めて生まれるものです。

比べる相手がいなければ、恵まれているかどうかがわかりません。

もしかしたら、自分の状況は変わらないのに、比べる相手が違っていれば、自分は何と恵まれているのだろうと、思うかもしれません。

 ※PexelsさんによるPixabayからの画像です。

自分は誰にも愛されていない。

これは、孤独の極みにあるような想いですね。

喩えてみれば、明るさの程度は違えども、他の人には光が当たっているのに、自分だけは光が当たらず、真っ暗闇に包まれている、という感じでしょう。

でも、これも自分がそう感じているだけの話であって、他の人が見た場合、愛の光が煌々と照らされているように、見えるかもしれません。

要は、自分がその愛の光を、感知できているかどうかの問題です。

 ※Anastasia GeppさんによるPixabayからの画像です。

つまらない人生だ。

多くの人が感じていることかもしれません。

特別なことは、特別な人にだけ起こると、信じているのです。

でも、つまらないか面白いかの判断は、人によって違うものです。

自分では、全然面白くないと感じている人生が、他人から見れば、何と面白い人生なのか、となるわけです。

ちょうどドラマや映画で、誰かの人生をのぞき見している感じでしょうね。

自分とは違うものは、どんなものでも珍しいし面白く思うものです。

あるいは、自分と似たような局面を持っている人は、つい応援したくもなります。

それは、何かの競技に参加している、選手のようでもあります。

 ※Myriams-FotosさんによるPixabayからの画像です。

お金もあるし、異性にももてて、人生最高!

こんな人が言う最高とは、精神的なものではありません。

つまり、最高と感じるのは、ほんの一時であり、すぐにさらなる刺激となるものを、探し始めるのです。

精神的な満足を得ている人であれば、今の自分を幸せに感じ、不必要に何かを追い求めたりはしないでしょう。

しかし、物質的な環境を基盤とした喜びは、刹那的であり、まるで花火のようです。

きれいだけれど、しばらくすると、すぐに消えてしまうので、また次の花火を見たくなります。

 ※Usman YousafさんによるPixabayからの画像です。

科学の進歩はめざましく、科学で説明できないものはない。

宗教における神さまのように、科学を信奉する人は、このように信じているでしょう。

科学で説明できないものは、非科学的と決めつけて、そんなものは有り得ないと、簡単に結論を出してしまいます。

でも、本物の科学者はそんな風には考えません。

自分たちの科学が、まだまだ未熟であることを、認識しているので、とても謙虚ですし、未知の存在に対して、心をわくわくさせるでしょう。

アメリカ政府が認めたUFOの技術を、解明できないのに、科学が全てを説明できるとは、おかしな理屈です。

また、UFOを創った知性体においても、彼らを超える知識や技術は、必ず存在するでしょう。

科学とはそのようなものであり、絶対的なものではないのです。