相対的な世界 その2
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人間には男性と女性がいます。
体の構造から、男か女かという区別がしやすいので、世の中は人間を、男女の二つに分けて来ました。
しかし、実際は男性なのに心は女性の人や、女性なのに心は男性という人がいます。
また、肉体的にも性別がわかりにくい体に、生まれた人もいるのです。
これらの人を、男か女かという単純な枠組みに、はめこもうとすると問題が生じます。
そして、大概の場合において、男女という枠組みではなく、これらの人に問題があるのだと、判断されてしまうのです。
しかし、自然の一部、生物の一部である人間の体を、私たちが創ったわけではありません。
生まれて来た時に、すでに人間の体はできていました。
どんなに偉い学者でも、人間の体はその人が生まれて来るより、ずっと前からあったのです。
それを、いかにも自分たちが人間の体を創ったのだと、言わんばかりの枠組みを作るのは、間違いです。
枠にはまらない例が見つかったのなら、枠の方を作り直すべきなのです。
そもそも男性の心にも、女性的な部分があります。
肉体的にも、女性ホルモンが、男性の中にもあるのです。
同様に、女性の心にも男性的な部分がありますし、女性の体にも男性ホルモンがあります。
つまり、男か女かというのは、男性性あるいは女性性がどれぐらい多いのか、ということの現れに過ぎないわけです。
当然、どちらなのか決めかねるような場合も、出て来ます。
でも、それは自然なことでもあるのです。
男か女かという区別は、絶対的なものではなく、あくまでも相対的なものです。
そこのところを理解して、いろんな性のあり方を認めることは、人間としての喜びを強めるだけでなく、この世界についての理解を、深めることにもなるでしょう。