壊れた腕時計
先日の父の日に、家内と子供たちから、懐中時計をプレゼントされました。
父の日だったことすら、頭になかった私は、思いがけない贈り物に、胸が一杯になりました。
私は昔買った安い腕時計を、何年も使っていました。
でも、その時計が壊れてからは、時計を持ちませんでした。
別になくても、それほど困らないと、思っていたからです。
それでも、立派な懐中時計には、胸が弾みました。
何より、時計に込められた、家族の気持ちが嬉しかったのです。
その懐中時計を喜んでいると、家内が思い出したように、別の時計の話をしました。
同じ市内に暮らす、家内の義父の腕時計の話です。
義父は腕時計を、二つ持っていました。
その二つとも、壊れて動かなくなったので、修理に出して欲しいと、家内は頼まれました。
もう1年ほど前の話です。
昔と違って、最近は時計屋を、見かけなくなりました。
家内は苦労して、古くて小さな時計屋を見つけると、そこへ二つの腕時計を、持って行ったのです。
その結果、一つは再び動くようになりました。
でも、もう一つはどうしても動かないので、これはだめだと、時計屋さんに言われました。
家内は直った方の腕時計を、義父に戻しました。
壊れたままの腕時計は、また別の時計屋を探してみようと思い、自宅の机の引き出しに、仕舞っておきました。
とりあえず一つは直ったので、義父はそれで、満足してくれたようでした。
しかし先週、その腕時計がちょっとした事情があって、無残に壊れてしまったのです。
せっかく修理に出して、直ったはずの腕時計が、どのように壊れたのかを、家内は私に説明しようとしました。
でも、上手く説明できないので、机の引き出しに仕舞っておいた、壊れたままの腕時計を取り出しました。
それを使って、今度の時計の壊れ具合を、私に説明しようとしたのです。
ところがです。
家内が手に持った、その壊れていたはずの腕時計の針が、動いていたのです。
しかも現在時刻に、ぴったりと合っていました。
その事を指摘すると、家内も驚きました。
だってその時計は、時計屋がだめたと言った、時計なのです。
壊れたまま机の引き出しの中に、ずっと放っておかれた、時計だったのです。
その時計が動いていて、しかも時刻がぴったり合っているのです。
まるで、今回壊れた時計の代わりに、自分を義父の元に届けなさいとでも、言っているかのようでした。
翌日、家内はそれを、義父に届けに行きました。
腕時計が壊れた義父は、かなり落ち込んだと思います。
でも、勝手に直った腕時計を持って行くと、とても喜んでくれたそうです。
時計屋が直らないと、断言した腕時計ですから、家内は捨てることも考えました。
でも結局、捨てないで取っておいたのです。
もし捨てていたら、今回の話はありませんでした。
また、私への父の日のプレゼントですが、これが懐中時計だったのも、偶然とは思えません。
懐中時計だったから、義父の時計が壊れたという、話題が出たのです。
父の日のプレゼントがなかったり、もらっても懐中時計でなかったなら、今回の話にはつながらなかったかも知れません。
それに家内が、壊れた腕時計の説明をするために、何でわざわざ、引き出しの中の腕時計を、出そうとしたのかも不思議です。
その時計がなければ説明ができない、という事でもなかったのです。
それが説明の途中で、ふと思いついたように、引き出しから、この腕時計を取り出したのです。
家内が引き出しを開けなければ、この時計が動いていても、誰も気がつかなかったでしょう。
私たちは、壊れた時計の代わりに、新しい時計を義父に買ってあげようかと、相談をしていたのです。
でも新しい時計より、使い慣れた時計の方が、いいに決まっています。
実際、義父はとても喜んでくれましたから、本当によかったと家内と喜び合いました。
きっと見えない誰かが、そっと力を貸してくれたに、違いありません。
不思議なこともあるものだと言いながら、目に見えない力を、発揮してくれた何者かに、夫婦二人で深く感謝をしました。
本当に不思議で、感動的な出来事でした。