感情と波長 その2
音叉ってご存知ですよね?
学校の理科の実験で使った、U字型の金属で、それぞれが固有の振動数を持っているのです。
一つの音叉を叩いて音を鳴らすと、その音叉と同じ振動数を持つ別の音叉も、共鳴して勝手に音が鳴るんですね。
でも、振動数が異なる音叉は、鳴りません。
これと同じで、振動数が低い感情、たとえば、いらいらしてたり、暗く落ち込んでいたりしている人のそばに、同じような人がいると、互いの雰囲気が共鳴し合って、余計にいらいらや落ち込みが、強くなるわけです。
何かでみんなが不安になっている時に、誰かがパニックになって騒ぎ出すと、次々に他の人たちも騒ぎ出すのも、これと同じです。
振動数が高い感情、喜びや楽しさも、やはり共鳴し合って、より大きな喜びや楽しさを生み出します。
いらいらしている人が、喜びや楽しさに共鳴できないかと言うと、そうではありません。
自分の中の、喜びや楽しさに共鳴する部分に、意識の焦点を合わせればいいのです。
言い換えれば、心の中に様々な感情の音叉があると考えるのです。
それぞれの音叉は、それぞれの振動数と同じものに、共鳴します。
そして、どの音叉に意識を合わせるかで、その人の気分が決まるわけです。
こんな時に喜べるものか。
何が楽しいんだ、まったく。
人の気持ちも知らないで、不謹慎な。
こんな風に考えてしまうと、意識の焦点をいらいらの音叉から、外すことができません。
余計なことは考えず、ただ自分の楽しさの音叉 に、意識の焦点を合わせてやると、さっきまでいらいらしていたことなど忘れて、腹の底から笑えるのです。
別に、いらいらや落ち込みが悪いとは言いませんが、その状態は居心地が悪いと思います。
そうであるなら、意識の焦点を変えることで、別の音叉を選び、落ち込んだ気分を楽しい気分にすればいいでしょう。
このように、どの音叉に意識を向けるかで、気持ちや感情が変わります。
いつも楽しくできる人は、心の中に気分を落ち込ませる音叉が、全然ないということではありません。
あるのだけれど、そこに焦点を当てていないということですね。
つまり、常に楽しい音叉に、焦点を当て続けているのです。
いらいらしている人に、楽しさの音叉がなければ、この人は一生いらいらしたままです。
でも、そんなことは有り得ません。
いらいらしている人も、楽しさの音叉を見つけて、そこの意識を向けていれば、どんどん楽しくなるのです。
また、どんなに明るい人でも、落ち込みの音叉を共鳴させるような、強い刺激があると、やはり暗い気持ちになります。
それでも、共鳴する刺激から遠ざかり、喜びの音叉を振動させるようにしていると、落ち込みは過去の記憶となり、今に影響しなくなります。
いらいらや落ち込みが続く人は、いらいらや落ち込みの音叉を、共鳴させる刺激から離れないのだと思います。
離れない理由は、人それぞれでしょうが、わざわざ暗くなる音叉を、刺激し続けていることは、どの人も同じでしょう。
落ち込み気分を、楽しんでいるのならいいのですが、そうでないのなら、まずは落ち込み音叉を刺激するものから離れないといけません。
似たような人で集まるのは、お勧めしません。
落ち込みの刺激から離れたあとは、楽しさを刺激するものに、触れることですね。
何の遠慮もいらないし、躊躇する必要もありません。
素直な気持ちで、積極的に楽しいことに触れれば、心の振動数はすぐに高くなるでしょう。
自分が何かの感情を持った時、心の中で、どんな音叉が振動しているのか、想像してみて下さい。
苦しくてつらい時には、苦しみやつらさの音叉が、キーンと鳴っているのです。
その音叉を鎮めるイメージをするだけでも、苦しさやつらさを和らげる効果を、かなり期待できると思います。