死について考える その3
死んで人生を終えても、それで終わりではありません。
私たちの多くは、精神場にある世界へ移行したあと、再びこの世界へ生まれ変わって来るようです。
しかし、それは何故でしょうか。
何故、何度も死んでは生まれ変わるということを、繰り返す必要があるのでしょう。
この世界は、それほど面白く魅力的なのでしょうか。
あるいは、前の人生では体験できなかったことを、今度こそ体験しようとしているのでしょうか。
向こうの世界の話を聞くと、向こうの方が自由だし、超能力と呼べるような力が、使えるようです。
望んだことは、何でも実現されますし、死を恐れることもありません。
それなのに、わざわざ不自由なこの世界に、舞い戻って来るのは何故なのでしょう。
その理由がわからなくても、何かこの世界に秘密があるのだと、いうことはわかると思います。
向こうの世界にいたのでは、体験できないような何かが、この世界にはあるのです。
また、そんな秘密があるこの世界には、何故死という人生の締めくくりがあるのでしょう。
不老不死を求める人がいるように、死なないで生き続けることは、多くの人にとって魅了です。
不老不死であれば、いろんなことができるでしょうに、どうして生きるものは、死を迎えるのでしょうか。
向こうの世界から、こちらの世界に生まれて来るのは、この世界で何かを体験するためでしょう。
人生に死があって、その人生に区切りをつけるのは、同じ人生を長く続けても、得られない体験があるからではないでしょうか。
たとえば、不老不死の男性に生まれたとしましょう。
不老不死ですから、この人はずっと男性です。
女性の体験はできませんから、女性がどんなものかを、主観的に理解することはできません。
やはり死んで男性の人生に終止符を打ち、女性に生まれ変わる必要がありますね。
同じように、様々な人生を体験するためには、一つの人生を長く続けても、仕方がないのです。
ですから、死があるのでしょう。
思いがけない死、突然の死、あまりにも短い人生、何のために生まれて来たのか、わからないような悲惨な人生。
そんなのも全部、一つの体験です。
また、同じような体験をしても、そこでどのように反応するかは、人それぞれです。
ある体験の中で、どんな判断をし、どのような行動を取るのか。
それもまた、それぞれが一つの体験なのです。
人間社会の中にある善悪の価値観では、わからない価値観が、向こうの世界にはあるのでしょう。
死について考えることが、生きることにつながり、今度はこの世界を超えた、向こうの世界にまで、視点が広がりました。
私たちは、そのような壮大な世界の中に存在し、生きているのです。
ですから、人間社会で作られた規則や、価値観で生きるのではなく、もっと大きな自分なりの考えで、生きる道を進めばいいのです。
普通は、死は不吉の象徴です。
しかし、その死についてよく考えれば、こうした世界観を手に入れられるのです。
そして、この新たな世界観を得られたならば、もはや死は不吉の象徴では、なくなっているはずです。