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死について考える その2

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死を理解するためには、生きるということを、理解しなくてはなりません。

生きるということは、存在しているということです。

私たちの存在について考えると、私たちの本質は心なのだとわかるでしょう。

つまり、死を理解するためには、心というものについて、考える必要があるのです。

科学の世界では、心は物質エネルギーではないと、考えています。

科学は物質エネルギーを対象としているため、心は対象外になるわけです。

そのため、心について考えるとなると、宗教か哲学、心理学、病院の精神科や心療内科などが、専門と見られるのですが、すっきりした答えは出せないようです。

それでも、私たちは存在しています。

学者が何と言おうと、私たちの心は実在しているのです。

そもそも心がなければ、学問もへったくれもないでしょう。

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像です。

心が物質エネルギーに属さないのであれば、世界には物質エネルギーとは別の側面があるということです。

つまり、心が属するエネルギー形態が、あるはずなのです。

物質の世界では、電磁力の力によって成立しています。

そのため、空間に広がる電磁力の影響を、電磁場と呼んでいます。

原子の中心にある原子核は、プラスの電荷を帯びており、その周囲にある電子は、マイナスの電荷を帯びています。

原子の構成には電磁場が作用しており、世界は電磁場によって造られていると言えるでしょう。

同じように、心を構成する場があるはずで、私はそれを精神場と呼んでいます。

人間や他の生き物たちは、電磁場と精神場の双方が干渉し合うことによって、物質的肉体を伴って生きているのだと思います。

死ぬということは、肉体から意識が消えることです。

これは電磁場と精神場との干渉が、終了したということです。

死後の肉体は、腐敗して崩壊してしまいます。

では、死後の意識は、やはり崩壊してしまうのでしょうか。

崩壊するのであれば、その人の心は失われ、その人の存在は消え去ったと言えます。

崩壊しないのであれば、その人は肉体の死後も、精神場の世界で存在し続けると考えられます。

ここで、幽霊の存在がポイントになります。

 ※ariadne-a-mazedさんによるPixabayからの画像です。

幽霊は肉体が失われたのに、その人の意識が存在している証です。

死んでも、心が失われるわけではないということですね。

しかし、全ての人が幽霊になるわけではありません。

幽霊として現れる人は、大体が未練があったり、恨みや悲しみを抱えて、この世界にしがみついているように思えます。

幽霊にならなかった人たちは、この世界を離れ、精神場の中にある、別の世界へ移行するのでしょう。

体外離脱の体験や、前世の記憶というものが報告されています。

そういうものも心と体が別物で、肉体の死後も心が存続するということを、示しています。

肉体は目で見えますが、心は見ることができません。

そのため、死について考える時、目で見ることができる肉体を基準にして、理解しようとします。

しかし、心を基準にして死を考えると、死についてのイメージが、大きく変わると思います。

死とは、一つの肉体を介した人生体験を、終了するということです。

今の人生を終えたとしても、それで自分が終わるわけではないのです。

肉体の死後も、私たちの存在そのものは、ずっと残っているのです。

それを理解すれば、自分が消滅するという、恐怖はなくなるでしょう。

でも、死後に体験するであろう、死後の世界を考えると、やはり怖くなるかもしれませんね。