支配欲
誰かを支配したいという気持ちは、誰にでもあります。
それは自分の世界を、自分の思い通りにしたいという、願望に基づいたものです。
自分が認識しているものは、全て自分が関わっている世界の一部ですから、それが人であれ動物であれ、あるいは自然であれ、自由に動かしたいのです。
逆に言えば、そういう気持ちが強い人は、普段、不自由を感じることが多いのでしょう。
その結果、ストレスを抱えて、心が潰れそうになっているのだと思います。
恋人や配偶者、子ども、ペット。
可愛がったり愛しているように見えながら、実は相手を支配しようとしていることは、よくあることです。
この人のため、この子のため、という聞こえのいい言葉を使いながら、相手を自分の思い通りにしようとしてしまうのです。
自由に生きている人は、他人を縛りつけようとは思いません。
そんな発想が出て来ないのです。
自分が縛られて生きていると、誰かを縛ることを当たり前だと思います。
それで自分が不自由な思いをしていても、同じことをしてしまうのですね。
自分が不自由だから、誰かを支配することで、バランスを取ろうとするわけです。
それが、不自由の悪循環を招きます。
会社の経営陣や、政府の人々は、労働者あるいは国民を支配しようとします。
また、他の会社を傘下に置いたり、貧しい国を支援を餌にして、自分の味方につけることも、相手を支配しているわけです。
こうすることが起こるのは、個人レベルが不自由の連鎖をするのと同じで、今の経済システムが、誰かを支配するという形態で成り立っているからです。
つまり、自分以外のものを支配して、コントロールしなければ、自分たちが中心になって生きていけないという、不安や焦りがあるわけです。
世界は弱肉強食で成り立っているから、強くなければ食われてしまうという、恐れがあるのですね。
また、会社や国の上に立つ人々の、個人的な意識で考えると、いかに多くの人間を、自分が支配しているかということで、大きな安心感を得ようとしているわけです。
自分が世の中を動かしているのだという、満足感が欲しいのですね。
言い換えれば、こういう人たちほど、世の中のことを、一方踏み間違えれば、奈落の底へ落ちてしまう、危なっかしくて怖い所だと、考えているのだと思います。
世界全体を自分が支配しなければ、安心して生きていけないと、考えるのでしょう。
自由に生きるということを、本当に理解している人たちが、世界をリードできるようになれば、世の中は今とは全然異なるものになるでしょう。
ここで言う自由とは、他人への迷惑を顧みない、という意味ではありません。
本当に自由を愛している人は、他人の自由を尊重しますし、他人の自由を邪魔するようなことは、望みません。
それは、他の生き物に対しても、同じです。
つまり、本当の自由を知る者は、他人に対しても、自然の生き物に対しても、思いやりの心を持っているということです。
誰かをコントロールしているなと感じたら、あるいは、自分は思いやりの心に欠けているなと感じたら、自分は自由に生きているのだろうかと、振り返ってみて下さい。
不自由な生き方をしていると気づいたなら、思い切って自由に生きてみましょう。
不安かもしれませんが、プールの水に飛び込むようなものです。
やってみれば、全然問題がないことが、わかるでしょう。
そして、清々しい気持ちになっていること、気づくはずです。