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肩書きに囚われない

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 ※tropchou19981027さんによる写真ACからの画像です。

人は相手のことを、肩書きで判断する傾向があります。

特に日本人は、その傾向が強いように見えます。

初対面の見知らぬ相手のことは、何もわかりません。

ですから、信用するわけにいきませんし、この人は何者なのだろうと、いぶかしむでしょう。

しかし、相手の素性を示すものがあると、ああ、こういう人なのかと、安心するわけです。

日本で名刺交換をするのは、そういう理由でしょう。

ただ、それはあくまでも、名刺に書かれた素性であって、それが本当かどうかはわかりません。

やはり、相手を信用するしかないわけですね。

だったら、初めから信用しても、同じじゃないかと思うのですが、日本人は名刺の肩書きに弱いのです。

肩書きは、本人がどこで働いているのかを示すだけでなく、その中のどのポジションにいるのかも、示しています。

それは部署だけでなく、その部署の中の上なのか、下なのかまで伝えるものです。

日本人は権威に弱いですから、「長」と付いていると、相手に敬意の念を持ちます。

「長」が付いていないと、下っ端だと見なして、あまり相手にしません。

「長」が付いていても、それが課長なのか、部長なのか、社長なのかで、相手を見る目が変わって来ます。

 ※bBearさんによる写真ACからの画像です。

また、職業についても同じで、小さな会社や名前を知らない会社では、何とも感じません。

しかし、有名な会社であったり、病院の医師だとか、大学の教授だとかになると、すごい人が来たと言わんばかりの、応対になるのです。

それは、相手への敬意と言うより、権威に迎合しているようなものです。

こういう方たちは、権威を重視していますから、権威に憧れますし、自分に対して従う者には、いい顔を見せますが、そうでない者には、冷たい態度を示します。

自分にも、それなりの権威があるというところを、見せたいし、自分でも感じたいのでしょう。

でも、それは窮屈な生き方になりますし、相手に権威を認めて頭を下げたとしても、必ずしもそれは、相手が望むものではありません。

人の上に立つ人たちは、孤独な人が多いように思います。

仕事上の付き合いや、人間関係がありますから、そう言う意味では、孤独ではないかもしれません。

また、多くの人がその人の権威を認め、それなりに応対してくれるのでしょうが、やはり孤独なのです。

個人的なことも含めて、自分と対等に様々なことを、語り合える相手というものは、そんな簡単に見つかるものではありません。

経営者や管理者としても、上司がいない立場ですから、相談相手がいません。

同業者であれば、ある程度相談できるでしょうが、全てをさらけ出すことは、できないでしょう。

こういう人は、肩書きに囚われない、本当に信頼できる話相手を、求めています。

それなのに、こちらがペコペコしてしまっては、相手をがっかりさせるだけになるのです。

肩書きとは、どこで何をしているのかを、示すだけのものに過ぎません。

そこに権威を引っ付ける必要はないのです。

 ※Free-PhotosさんによるPixabayからの画像です。

相手がどんな人物なのか、それは肩書きではなく、自分の目で見て確かめるしかありません。

口でどんなきれい事を言ったとしても、やっている事が真逆であれば、そういう人物なのだと見抜けるでしょう。

その人物を判断するのに、肩書きなんて、何の役にも立ちません。

また、権威に関心を向けなくなれば、自分自身も権威を求めなくなりますから、周りの人たちとも、本音を語る関係が築きやすくなります。

職場はアットホームな雰囲気になり、みんなが仲間だという意識が、芽生えるでしょう。

権威が好きなのは、一向に構いませんが、それが自分を窮屈にしているということを、知っておくべきだと思います。

みんなが対等で、みんな同じなんだという意識の下に、作られる社会は、とても居心地のよいものでしょう。

それに、みんな同じだという考えは、人間以外のものにも、向けられるでしょう。

それこそが、本当に地球に優しい社会であり、今の口先だけの、地球への優しさとは、全く異なるものです。