新聞記事 その3
私たちが何かを、本音で選ぶ時、そこには喜びがありますし、選んだ結果に対する、覚悟もあります。
しかし、自分の本音ではなく、誰かに唆されたとか、周りに合わせたとか、流れに従って仕方なく、という理由で選んだ場合、そこに本当の喜びはありません。
もちろん、楽しいことはあるでしょう。
でも、それは心の底から湧き出るような、喜びにはつながりません。
表面的な楽しさです。
また、状況がまずくなっても、それを受け止める覚悟がありません。
ですから、文句や不満ばかりが出て来ます。
将来に対しても、自信も覚悟もありませんから、不安や心配がつきまといます。
自分が観ている、人生という名の映画も、大概の人が、自分が選んで観ているという、感覚はないと思います。
生まれた時から、こうだったからしょうがない。
自分の家は、こんな感じだから、どうしようもない。
自分は特別な人間じゃないから、状況を変える力などない。
こんな風に考えている人が、多いでしょう。
これは要するに、自分の人生に対して、あきらめているわけです。
実際の映画であれば、嫌な映画を断ることはできても、人生という映画については、断れないと決め込んでいます。
あるいは、映画を変更しようにも、どうすれば変更できるのか、わからないと考えているでしょう。
もう、すでに起こってしまったことは、変えられないのだから、自分の人生を、変えることなどできない、と思う人もいるかもしれませんね。
でも、映画館で観る映画でも、ホラー映画だと思っていたら、コメディだったということが、あるでしょう。
不幸と悲しみを背負った主人公が、最後には幸せに巡り会う、という結末のものもありますよね。
映画は制作者が、好きなように作れるのです。
また、どんでん返しの結末を迎える映画は、多くの人に好まれます。
これまでの記憶や、現在の状況から、この先もうまくいかないと、決めてかかるのは、映画監督としては失格でしょうね。
自分の人生をどうするのか。
それを決めるのは、自分です。
新聞記事や映画館の映画を、好きなように選ぶのであれば、自分の人生も、好きなように選べます。
途中で変えることも可能です。
新聞記事も深読みをすれば、その記事を書いた人が、その記事を通して、読者に何を伝えたいのか、ということが見えて来ます。
単に自分の文章を売り込みたいだけなのか、読者に希望を届けようとしているのか、あるいは不安を煽りたいのか。
同じ出来事を伝えるにも、伝える人によって、選ぶ言葉や表現が変わって来ます。
どこに視点を向け、何を強調しようとしているのかで、伝わるものが違います。
それと同じように、自分の過去の経験や、今の状況についても、深読みをすれば、今考えているのとは、違った面が見えて来るでしょう。
不幸に見えることでも、その中に必ず、喜びにつながるものが、隠れています。
それを見つけるようにすれば、自分は不幸ではない、自分だけが取りこぼされているのではない、と気づけると思います。
ここは、とても重要なポイントで、自分の記憶の中にある、人生という映画を、自分で編集して、それまでとは別物にしてしまうのです。
平凡でつまらない人生が、実は驚きと面白さにあふれていたと知れば、どうでしょうか。
その面白さは、リアルタイムで知らなくてもいいのです。
思い返した時にわかる面白さというのは、いくらでもありますから。
大事なのは、自分の人生の色づけは、自分自身がしているのだと、知ることなのです。
それができれば、これから訪れる未来についても、自由に色づけしていけますし、初めから自分が好む色の人生を、選ぶということも、できるようになるでしょう。
それは、自分が本当に観たかったものに、人生という映画を作り変える作業なのです。