新聞記事 その1
新聞には、様々な記事が載せられています。
新聞を読むにも、人それぞれ好みがあって、真っ先に自分が関心のある所から、読む人もいれば、初めから順番に読んで行く人もいます。
興味がある所しか読まない人もいれば、小さな記事まで全てを読む人もいます。
ところで、私たちが記事を読む時、そこに書かれてある文面を、一文字一文字順番に目を通して行きますよね。
そうして、一つの文を読むことで、その文に何が書かれているのかを、理解します。
文の意味はわかっても、それだけでは、記事が何を言いたいのかは、わかりません。
記事の内容を知りたければ、文の塊である文章を読まないといけませんし、いくつもの文章が書かれていれば、それら全てを読まなくてはなりません。
また、関連記事というものが別にあれば、そちらにも目を通す必要があるでしょう。
そうしなければ、その記事が何を伝えようとしているのか、詳細はわかりません。
ただ、いずれにしても、私たちは一文字一文字を根気よく読んで行き、そうやって全部を読み終えることで、記事の内容を理解するわけです。
これは、私たちの普段の暮らし、私たちがいる世界の流れと、よく似ています。
私たちは瞬間瞬間しかわかりません。
私たちにとっての現実と言うものは、実は今という瞬間だけなのです。
一文字一文字順番に読むことで、一つの文、一つの文章を理解するのと同じで、一瞬一瞬の現実が、つなぎ合わされることで、人生というものが築かれて行くのです。
それが時の流れであり、私たちの経験も思考も、全てがこの流れによって、構築されるものなのです。
どこかの一瞬だけをとらえても、そこには何の経験もなければ、何の思考もありません。
つまり、私たちが自分と認識しているものも、存在していると信じている世界も、ないのです。
そこにあるのは、一瞬一瞬をとらえて、つなぎ合わせようとする意思です。
この意思は、私たちが通常理解している、自分という概念ではありません。
私たちが理解している自分というものは、瞬間瞬間をつなぎ合わせることによって、創られたものなのです。
つまり、普段認識している自分というものは、一種の幻想であり、錯覚のようなものなのです。
そういうものを超えた別の所にこそ、本質的な自分というものが、存在しているのです。
それは、どこなのでしょうか。
それは、私たちが無意識と呼んでいる領域です。