地球の子供たち その2
何をしたらいいのか、悩んでしまう。
みんなと同じでないと、不安だ。
大きなことをする人が、うらやましい。
生きている意味が、わからない。
こんな風に思っている人は、とても多いと思います。
こんな風に考えてしまう原因は、視覚情報への頼り過ぎです。
表面的な情報だけで、物事を判断する癖がついているので、本当のところは、よくわからないのです。
だから、間違った情報や、良くない情報でも、すぐに飛びついてしまうのです。
その間違った情報の最たるものが、人間は特別な存在だ、というものです。
特別ということは、特権があると受け止められます。
それは他のものに対して、何をしても許されるという考え方に、結びつきます。
この、人間は特別だという発想は、個人的にも、自分は特別でありたいという願いに、つながるのです。
しかし、正しく言うと、人間は特別なのではなく、個性的なのです。
他の生き物、他の存在と異なるのは、人間が特別なのではなく、人間という個性を表現しているだけです。
他の生き物、他の存在たちも、それぞれの個性を表現しています。
どれが特別ということはありません。
立場的には、全ての存在が同等であり、同価値です。
人間社会においても、個性を尊重しようという動きが、加速されているように思います。
お金や地位、権力などで優劣を決めるのではなく、全ての人が同等であると考えることは、人間の知性がアップしたことを、意味します。
それは人間社会が、ユートピアになるということです。
でも、まだまだその動きは、強いとは言えません。
権力者たちは、自らの立場を維持しようと、躍起になっていますし、多くの人が、権力者たちた掲げている、経済や軍備の理屈を、鵜呑みにしています。
それはやはり、視覚的な情報に頼り過ぎているからでしょう。
本当の自分の価値、自分が存在している意味が、理解できていないのです。
私たちは、エネルギー的に地球とつながっています。
それは宇宙とつながっているとも言えますし、世界とつながっているとも言えます。
私たちは常に全体の一部であり、全体から切り離すことは、不可能です。
なのに、自分は世界から切り離されている、独立した存在だと、自らを欺いてしまうから、おかしなことになるのです。
全体から切り離されていると、信じている人間は、その潜在的な能力の大半が、使えないままになります。
思考しているようで、思考がストップした状態です。
私たちが何かを思いついたり、深く物事を理解できるのは、心が全体とつながっている時です。
そうでない時は、誰も操作していない、ゲームのキャラクターが、自動的に動き回っているのと、同じ状態です。
毎日毎日同じことの繰り返しで、何の変化もありません。
何か大きな出来事が起こっても、その意味を理解することもできないし、どうすればいいのかもわかりません。
みんなと同じでなければ安心できず、自分なんかに何ができると、常に自信のなさが根底にあります。
そんな風に感じて悩むのは、本物の思考が止まっているからです。