不確かな記憶
朝目覚めた時、私たちは自分が、昨日と同じ世界にいると受け止めています。
それは目覚めた部屋の様子や、昨日までの記憶、それを裏づけるような新聞やニュースなどの情報と、記憶を共有できる人々。
そういうものが、自分が昨日と同じ世界にいるのだと、確信させてくれるからです。
でも、本当にそうなのでしょうか。
夢の中には、夢の世界だけの記憶というものがあります。
その世界の自分は、この現実世界とは別人になっていて、こことは違う記憶を持っているのです。
その夢に現れた場面の記憶ではなく、夢には出ていないことが、夢の中の記憶として、認識されるのです。
テーブルの上に、料理が載せられている場面を、夢で見たとしましょう。
その場面を見ているだけで、 その料理を誰がどのようにして、作ったのかということがわかるのです。
その料理が作られるところの、記憶があるわけですね。
でも、料理が作られる場面は、夢には出て来ません。
ですから、夢の中だけの記憶なのです。
そんな記憶は妄想みたいなもので、頭が勝手に作り上げたものだ、と言いたい人もいると思います。
でも、夢の記憶が正しいかどうか、ということは問題ではありません。
その時の自分は、それを自分の記憶として、認識しているということが、重要なのです。
その記憶を認識している時には、こちらの世界の記憶はありません。
この現実世界の存在すら、頭にはないのです。
私たちは今認識している時空間を、現実の世界だと理解しています。
その根拠として、記憶は重要な地位を占めています。
しかし、一晩寝て目が覚めた時に、実は昨日までとは違う世界を、体験しているのかもしれないのです。
新たな世界には、新たな記憶が用意されていたとするならば、昨日いた世界の存在すら、わからなくなっているでしょう。
本当は今日から新しい世界を体験しているのに、昨日も一昨日も一昨昨日も、ずっと新しい世界にいたと、信じてしまうからです。
絶対にそうだと、言い切ることはできません。
でも、絶対に違うと、言い切ることもできないはずです。
結局、確かなのは、今この瞬間だけと言えるでしょう。
記憶が実は不確かなものだとしても、それを活用することはできます。
自分が保持している記憶を利用することで、今この瞬間をどのように生きるかを、判断できるでしょう。
ただ、同じ記憶から、どのような意味を見出せるかで、判断の結果が違って来ます。
人は記憶を頼りに、過去はどうだったかとか、事実はどうなのか、ということを重視しがちです。
しかし、そんなことよりも、今をどう生きるのか、ということの方が、遥かに大切だと思います。
そのためには、記憶されている過去の経験から、何を学ぶのか、過去の経験を、どのような視点で見るのか、ということが重要になって来ます。
何も学ぶことなく、過去に振り回されて、苦しい思いばかりをするのは、馬鹿馬鹿しいことです。
過去を単なる事実として見るのではなく、今を豊かに生きるための、材料だと見れば、苦しい気持ちは楽になって来るでしょう。
そして、今という瞬間を、活き活きと生きられるようになった時、記憶を振り返ってみて下さい。
以前には、恵まれていないと思っていた過去が、実は恵まれていたのだと、思えるようになっているはずです。
それは、今を変えることで、過去もまた変わったということなのです。
不確かな記憶に囚われないで、いろんなことを深く見るように努めましょう。
大切なのは今なのです。
今が変わるということは、それまでとは別の世界の、体験が始まったということです。
そこには新たな記憶が備わっています。
前の世界と同じような経験の記憶に思えても、その経験を恵まれていなかったと見るのか、恵まれていたととらえるのかで、全く別の記憶になっています。
覚醒している間に、新たな世界を体験し始めた場合、新しい記憶と共に、古い記憶も保持しています。
しかし、新しい記憶の方がメインになると、古い記憶はいつの間にか、どこかに隠れてしまうでしょう。
過去に苦しんでいる人は、ぜひ今を変えてみて下さい。
それは言い換えれば、価値観を変えるということです。
人生というものを、表面的にとらえるのではなく、深く見て下さい。
きっと、苦しみから抜け出せると思います。