創造するということ その2
可能性と言えば、私たちの暮らしの中でも、いろんな場面で使われる言葉です。
昇進の可能性、勝負に勝つ可能性、結婚できる可能性、結果を出せる可能性。
何にしても、やってみないとわからない事ばかりです。
でも、可能性が完全に0でない限り、求める場面は無限の世界の、どこかに存在しています。
その場面に、上手く出会えるかどうかだけのことです。
ところで、私たちは何気なく生きていて、何気なく時の流れに身を任せています。
次の瞬間に何が起こるのかなど、わかりませんし、考えようともしていません。
それでも次の瞬間は来ますし、その連続で人生は成り立っているわけです。
でも、次の瞬間というものも、数ある可能性の中から、自動的に選ばれているのだとすれば、どうでしょうか。
私たちは呼吸をしていますが、意識的に大きく呼吸をしたり、数多く呼吸をしたりすることができます。
でも、何も考えていなくても、呼吸は自律神経によって調節されていますので、勝手に息が止まることはありません。
眠っている時でも、呼吸は勝手に起こっています。
それと同じように、次の瞬間というものは、自律的に選択されているけれど、意識的に選ぶこともできるのかもしれません。
あるいは、意識しているつもりはないのに、気がつかないうちに、自分の意識が反映された瞬間が、選択されていることも、考えられると思います。
たとえば、楽しいことをしようと考えている人は、常に楽しい瞬間を狙っているわけです。
何も考えていなかった場合と比べると、明らかに楽しくなるような、瞬間瞬間を選んでいるでしょう。
また、毎日がつまらないと考えている人は、何に対しても興味を持とうとしません。
もし選んでいれば、そこに楽しさがあるかもしれない瞬間を見逃して、何もないであろう瞬間を、選択してしまいます。
似たような者同士が集まってしまうのも、それぞれが似たような瞬間を選び続けるために、引き寄せ合う形になるのかもしれません。
私たちは、創造するという言葉に対して、何か大事(おおごと)のようなイメージを、持ってしまいます。
でも、創造するというのは、いろんな可能性の中から、何かを選び出し、選び出したもので、自分や世界を生み出すことなのです。
見た目に大事かどうかは、関係ありません。
世界に存在する全てのものが、自分も含めて、創造されているのです。
私たちは、自分自身をも創造していると言えるでしょう。
自分や自分の世界は、他の誰が創ったのでもなく、自分自身で創っているのです。
誰かに文句を言ったところで、どうしようもありません。
この瞬間をどう生きるのか、次にどんな瞬間を導くのか、選択権も決定権も、握っているのは自分自身です。
他の人と同じことをするのか、自分独自の道を進むのか、どんな世界を創造するのか、全ては自分の裁量なのです。