夢を与える
世の中で活躍している人を見て、夢を与えてもらったと感じる人は、多いでしょう。
また、そういう人たちを見習って、自分も人に夢を与えられる人間に、なりたいと考える人もいると思います。
それは、とても高貴で素晴らしいことだと思いますが、一方で、その考えが足かせになる場合も、あるのです。
人に夢を与えるということは、実際にはどんなことだと、みなさんは思うでしょうか。
誰もがなしえなかった、すごいことをしたり、前人未踏の記録を、打ち出したりすることでしょうか。
どんな困難にも耐え抜く、不屈の精神でしょうか。
人から注目される、アイドルになることでしょうか。
夢を与えてくれる人に共通しているのは、すごくがんばっている姿でしょう。
がんばっているという姿を見せられると、人は自分もがんばろうという、気持ちになるものです。
しかし、がんばり過ぎて倒れてしまう人、潰れてしまう人もいるわけです。
日本では昔から根性というものが、重視されて来ました。
確かに精神力の強さは、重要ではあります。
でも、無理矢理がんばることで、精神力が強くなるというのは誤解です。
自分もすごい人間になろうとして、闇雲にがんばっても、なかなか上手くはいかないでしょう。
何をやっても飽きっぽい人が、何かにはまった途端、ものすごい集中力を発揮することがあります。
それは、自分にぴったりのものを、見つけたということです。
他の人から見ると、とても大変そうに見えることでも、はまっている人は、強い精神力でやり抜いてしまいます。
これは、はまっているからできることであり、精神力の強さも、そこにはまっているからこそ、発揮できるのです。
それを他の人が同じようにしろと命じられ、根性論を唱えられても、強い精神力が出せるはずがありません。
それなのに、根性を出してがんばろうとすると、必ず心か体に不調を来します。
見た目にすごくがんばっているように見えて、しかも潰れることなく活躍し続ける人とは、そこにはまっている人なのです。
つまり、自分がしていることが、好きで仕方がない人たちなのです。
だから、とてつもない精神力を発揮できるし、その活躍で他の人に、夢を与えてくれるのです。
誰かに夢を与えられる人間になりたいのであれば、まずは自分が打ち込めるものを、見つけることでしょう。
好きなものが見つからなければ、見つかるまで、いろんなことに挑戦してみて下さい。
思わぬところで、こだわりを持つものが見つかると、そこにはまって熱中するようになります。
その時には、誰かに夢を与えるなどとは、考えないでしょう。
そんなことを考えているうちは、熱中しているとは言えません。
もちろん、周囲の人々の力があるからこそ、自分はがんばれるんだという認識は、モチベーションになるでしょう。
でも、一番に考えることは、自分が熱中することです。
周りに感謝しながら、自分自身が熱中することです。
記録を出すとか、何かをやり遂げるということは、あくまでも結果です。
人々が注目し感動するのは、結果ではなく、熱意を持ってやり続ける姿勢なのです。
ですから、派手である必要はありません。
誰かに見てもらうことなど、少しも考えることなく、ひたすら熱中している姿がいいのです。
社会の目立たないところで、人知れず一生懸命何かをやり続けている人の姿は、本当に心を打たれるものです。
そんな人は案外身近にいるのに、目立たないために、気づかれないことが多いと思います。
自分のそばに、そんな人がいないか、周りをよく見てみるといいでしょう。
きっと、見つかると思います。
身近にそんな人を見つけると、テレビや舞台などで活躍している人よりも、もっと素敵な夢を与えてもらえるでしょう。
もしかしたら、知らないうちにあなた自身が、そんな人になっているかもしれません。