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常識を見直そう

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常識とは何でしょう。

辞書や辞典で調べてみると、結構小難しい表現をしているものが多く、案外わかりにくいものなのだと知りました。

一般には、常識と言えば、その社会で生きて行くのに、知っていて当然とされる知識や慣習、ルールなどのことでしょう。

みんなが知っているはずのことですから、常識を知らなかったりすると、こんなことも知らないのかよ、と小馬鹿にされてしまいます。

しかし、常識というものには、様々なものが含まれています。

安定した平和な社会を築くための、お互いの気遣いが、常識と表現されることは多いでしょう。

しかし、経験に基づいた個人的な見解であったり、偉い人の発言を鵜呑みにしただけのものも、少なくないと思います。

なるほどと思えるものであれば、いいのですが、そうは思えないようなものも、あるでしょう。

いずれにしても、常識という言葉を使う場合、その人にとっては、それが当たり前のことなのだ、という意味になります。

社会的ルールに基づいたものであれば、多くの人がその常識に同意するでしょう。

そうでない場合は、発言者が自分の正当性を、強調したいだけのこともあります。

気をつけないといけないのは、常識という言葉は、水戸黄門の印籠のような効果が、あるということです。

自分が知らないことで、これは常識だと言われると、とりもなおさず、ははぁっと平伏してしまいたくなるのが、常識というものです。

しかし、常識の中には、社会的なものから個人的なものまで、様々なものが混在しています。

それに、日本では常識であっても、外国であれば、常識とは見られないこともあります。

とにかく、常識というもので、自分が束縛されているように感じたり、肩身の狭い思いをしているならば、その常識の根拠を、確かめてみなければなりません。

どうして、それが常識なんだよ、と言いたくなったとしても、そこに正当な理由があり、自分がそれに納得できれば、それで苦痛な思いをすることは、なくなるでしょう。

納得できないものを、常識という言葉の威力で、有無を言わさず押しつけられるから、苦痛になるわけです。

もし、納得できる根拠がないのであれば、それは相手が自分の言い分を通したいがために、勝手に常識という言葉を、使っているだけです。

そんなものに従って、つら思いをする必要はありません。

自分の好きなようにすればいいのです。

当然、相手からはボロクソに言われるでしょう。

でも、言わせておけばいいのです。
付き合うことは、ありません。

他人を気遣うことはしても、他人の目を気にすることは、ないのです。

この二つは、似て非なるものなのです。

また、絶対的な意味での常識というものは、存在しません。

所が変われば、あるいは時代が変われば、それまでの常識が、常識でなくなったりもするのです。

常識というものは、その程度のものなのだということを、押さえておけば、常識というものに振り回されて、人生に悩むことはなくなるでしょう。

常識を自分の価値観に取り入れるならば、その根拠を確かにしておくことです。

また、必要がなくなれば、いつでも手放せるように、しておくことが大切です。

そうでなければ、こんなの常識じゃないか、となって、しなくてもいい争いになったり、嫌な気分になったりします。

常識が通じない人と出会ったら、その人の背景にあるものを、理解する姿勢が必要です。

あるいは、その人を通じて、常識が常識でなかったことを、学べるかもしれません。

とにかく、常識という固定的な観念に、自分の人生の主導権を、握らせないようにしましょう。