> 社会 > 差別問題 > 差別問題

差別問題

この記事は4で読めます。
 ※Patrick BehnさんによるPixabayからの画像です。

アメリカで黒人市民が、警察に殺された事件を発端に、人種差別への反発が、世界的に活発になっています。

こういう事は、過去にも同じようなものがありました。

でも今回の動きには、今までにない力を感じています。

まるで、人類全体の心が固い殻を破って、自由を手に入れようとしているかのようです。

ところで、人種差別は国際的な問題でもあり、このように大きな騒ぎにもなります。
マスコミにも大々的に取り上げられます。

しかし他の差別については、誰かが命を失わない限り、騒ぎにもなりません。
マスコミが取り上げる事も、滅多にありません。

死者が出て問題になっても、全てが一時的です。
翌日、他の事件でも起これば、もう忘れられてしまいます。

何故でしょうか。

それは自分自身、あるいは身近な方が、日常的な差別を経験していないからです。

大抵の人は、嫌な思いをさせられる事があっても、それが継続的でなければ、あまり問題に感じません。

しかし、毎日のように嫌な思いをさせられたなら、その人は差別問題を忘れる事はないでしょう。

では、差別問題があまり取り沙汰されない、日本では日常的な差別はないのでしょうか。

そんな事は、ありません。
日常的な差別は、どこにでもあります。

目立たないように行われているのと、人々の無関心で、ないように見えるだけです。

日本人は、表立っての争い事を好みません。
基本的に目立つ事を嫌います。

だから、誰かを人前で罵ったり、あからさまに嫌な態度は見せません。

でも、他の人から見えない所であったり、自分が誰かを特定されなければ、平気で嫌な態度を見せます。

学校や職場のいじめ、ネットでの匿名の誹謗中傷などがそうです。

ある地域へ移住した方が、村八分に遭う原因の一つは、外からはわかりにくい、地域の閉鎖性です。

 ※SplitShireさんによるPixabayからの画像です。

弱い立場の者に対して、差別は行われます。

相手が抵抗できない、あるいは抵抗しても大したことがない、そういう認識の下で行われるのです。

思いがけず、差別した相手が地位のある者であるとか、強力な仲間が大勢いるなどとわかれば、差別をしていた方は、パニックに陥ります。

差別とは、そのように愚かで情けない行為なのです。

差別なんかした事がないと言う人は、多いかも知れません。

でも子供の頃に、周りの子供たちと一緒になって、誰かを責めたり、からかったりした事が、あるのではないでしょうか。

自分に従わない相手に対して、意地悪をした事はありませんか。
それだって差別なのです。

今述べているのは、一般的に知られる差別ですが、差別とはわかりにくい差別もあります。

たとえば、人が困っているのがわかっているのに、見て見ぬふりをするのは差別です。

遠方にいるから、助けたいけど助けようがない、という話ではありません。

目の前にいて、手を差し伸べる事ができるのに、それをしない行為を言っているのです。

 ※Free-PhotosさんによるPixabayからの画像です。

困っているのが、自分の家族や友人であれば助けるのに、他の人間だと助けない。

このように、相手によって態度を変えるのは、差別と言えます。

誰かがいじめられているのに、それを止めようとしない。
知り合いが生活に困っているのに、相談にも乗ってやらない。
道に倒れている人を見ても、助けようとしない。

こういう消極的な差別は、どこでも見られる事です。

行為を行う本人には、それが差別だという認識は、ないと思います。
それ故、このような行為は、悪意なくやってしまいがちなのです。

こう考えると、誰もが差別をした経験があると言えます。

もしかしたら、過去の話ではなく、今現在の事かも知れません。
しかし、私はその責任について、言及しているのではありません。

未熟な者は差別をするものなのです。

ですから、子供は差別をしやすいですし、大人でも精神的に未熟なうちは、差別をしてしまうのです。

私自身、子供の頃は、差別心を持っていました。

大人が言う言葉を鵜呑みにして、アメリカは正義で、ソ連(昔あったロシアを中心とした国)や中国は悪いと、思い込んでいたのです。

もちろん、今はみんな同じ人間だという、認識で生きています。

心が未熟なうちは、差別がなくなる事はありません。

どんなに差別が悪いと訴えたところで、未熟な人には伝わらないのです。

差別が悪いと理解できるのは、心が成熟した人だけなのです。

つまり、差別をなくすためには、人々の心を、成熟させる必要があるわけです。

そのためには、それぞれの人が自分の中にも、差別意識があったのだということを、認識しないといけません。

まずは、自分も差別問題の、当事者だったと知る事が、心の成熟への第一歩なのです。

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像です。