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知らぬ間の悪魔崇拝

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 ※chantal MUREさんによるPixabayからの画像です。

先日、あるテレビ番組に出演した方が、ネットで誹謗中傷を受け、自らの命を絶ちました。

番組の熱心な視聴者は、そこに映された内容を、本気で受け止めたのでしょう。
だけど、テレビ局の人たちの、頭の中にあるのは、基本的には視聴率だけです。

視聴率を取るためであれば、彼らは何でもすると思っていれば、間違いないと思います。

この番組は、参加者たちの行動は、自発的に起こったもので、番組としては一切強要していない、というスタンスだったそうです。

しかし、実際は参加者にいろいろ指示を出して、視聴者を刺激するような場面を、作っていたようです。

また、あとで勝手に映像を編集し、実際にあった事とは違う場面を作り上げ、それを放送する事もあったそうです。

感動的な状況であれ、腹が立つような状況であれ、視聴者が真に受けて興奮すれば、それで視聴率が取れる、という算段なのでしょう。

その結果、今回のように参加者が、多くの人に憎まれてしまう事もあるわけです。
考えればわかる事ですが、視聴率以外は、どうでもいいのでしょうね。

もし大勢の人たちの前で、誰かれ構わず暴言を吐いたり、乱暴な事をしたらどうなるか。

その人は頭がおかしい乱暴者という、烙印を押されてしまうでしょう。

みんなが怒り出してから、実は芝居をしていたと弁解したところで、後の祭りです。

だから、まともな人は絶対にそんなことはしません。

しかし、テレビ局は事情がよくわからない参加者に、それと同じ事をさせたのです。
その結果が、こうです。

こうなるとは思わなかったなどという、言い訳は通用しません。
無免許で車を運転して、人をひき殺すのと同じです。

そんなテレビ局には、番組を作る資格などありません。

またお笑い芸人の一人を、「いじる」という言葉を大義名分にして、みんなで攻撃したり、痛めつけたりして、笑いを取ろうとする、バラエティ番組もありますよね。

やられている芸人は、笑いをとってなんぼ、名前を売るためには何でもします、という覚悟なのでしょう。

生活がかかっているわけですから、必死だと思います。
でも、それは芸ではありません。

それしかさせてもらえないのであれば、芸人として、それは悲しい事でしょう。
本当の芸人だとは、認めてもらえていないわけですから。

これは人の弱味につけ込んで、本人が嫌がる事をさせて笑い物にするという、いじめの構図と同じです。

このような事を公共の電波を使って、子供たちに堂々と見せているから、いつまで経っても、いじめの問題はなくならないのです。

誰かを生け贄にして、それで自分たちが潤うという状況を、想像してみて下さい。
映画に出て来るような、悪魔崇拝に似ていると思いませんか。

 ※Markéta BouškováさんによるPixabayからの画像です。

黒い衣装を身にまとい、悪魔の像を崇拝しながら、生け贄の女性や子供の命を奪う。
そんな場面を見たら、誰しもがおぞましいと思うでしょう。

だけど、見え方を変えてしまえば、どうでしょうか。

やっている事は同じなのに、気づかないで一緒に悪魔を崇拝してしまう人が、大勢いるのです。

生け贄にされた人が、画面の中で苦しむのを見て、笑っている人たちです。

あるいは、ネットで誹謗中傷されている人の事を、自業自得だと喜んだり、一緒になって攻撃する人たちです。

本人は、自分が悪魔を崇拝しているとは、思っていません。
でも、その行動は悪魔崇拝そのものです。

誰かを血祭りにあげることで興奮する人たちは、自分なりの正義感で動いているつもりなのでしょう。
でも、その実体は悪魔崇拝なのです。
誹謗中傷される人に、問題があるかどうかとは関係ありません。

ネットで誹謗中傷をする人たちだけでなく、愚かな番組を作る人たち、それを見て喜ぶ人たち、みんな同じです。

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像です。

今回のことで、自分たちが好きで見ていた番組の、本当の姿がわかった人も多いでしょう。
そういう人たちは、その番組あるいはテレビ局から、離れて行くでしょう。

だけど、注意して下さい。
日常のいろんな場面で、自分の利益だけを求めている人に、出くわします。
それに自分自身が、同じ事をしてしまう時もあると思います。

どうか、そうならないよう自身を戒めて下さい。
世の中にあふれる様々な情報や番組が、何を目的としているものかを、見極めて下さい。

選挙も同じです。
普段の言動から、その政治家が本当は何を考えているのかを、しっかり見ていて下さい。

多くの人がそうする事で、世の中は今と違った、温かく暮らしやすいものに変わるでしょう。

いい世の中は、誰かが作ってくれるのではありません。
私たちが自分の手で作らない限り、いい世の中は訪れないのです。