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矛盾が導いてくれること その3

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さて、矛盾という言葉の由来になった、どんな盾でも貫く矛と、どんな矛でも防ぐ盾の話ですが、みなさんは、やはりこれを矛盾と考えるのでしょうか。

客を騙して、ろくでもない品を売ろうとする者の、売り口上ですから、矛盾も何も、ただのでまかせですよね。

でも、本当にこのような矛や盾が、実在するのかどうか、考えてみると面白いですよ。

ここでいう矛や盾というものは、一種の象徴ととらえます。

つまり、矛は攻撃を意味し、盾は守備を意味します。

どんな盾でも貫く矛というのは、どんな守備でも打ち砕く攻撃と、言い換えることができます。

また、どんな矛でも防ぐ盾というのは、どんな攻撃でも跳ね返す守備だと、言うことができます。

これらが矛盾だと思うのは、攻撃と守備が別々のものだと、考えているからですね。

実は両者が同じものだとすれば、それが攻撃に見えるのか、守備に見えるのかは、見る者の主観によるわけです。

たとえば、ファンタジー映画などでは、よく愛の力というものが、取り上げられますよね。

悪の帝王などが、暴力的に攻撃して来るのに対し、愛の力で団結し、これを打ち負かすというものです。

でも、この場合の打ち負かし方は、やはり暴力によるものです。

愛そのものは、敵の力に耐え抜くための力、すなわち守備の力として、受け止められています。

ところが、暴力で相手を支配しようとする者にとって、何が怖いかと言うと、愛なのです。

仲間たちの間に愛が広がると、誰も従わなくなり、軍団は崩壊してしまうからです。

悪の帝王にとって、これはどんな兵器よりも、恐ろしい攻撃でしょう。

愛による勝利というものは、こういうものであり、相手と同じ武力を用いて、相手を制圧することではありません。

しかし、愛そのものは、攻撃の力でも守備の力でもありません。

愛は道具でもなければ、武器でもないのです。

愛は、愛です。

でも、愛こそが最強であり、愛に抗うことを試みても、勝利を収める者はいません。

何故ならば、愛というものは、この世界のエネルギーそのものであり、エネルギーとしての私たちの本質だからです。

つまり、愛を感じるというのは、自分自身の本来の姿を、見せられたのと同じなのです。

自分自身に抗えるものなど、いないでしょう。

だから、武器でもない愛は、最強の矛であると同時に、最強の盾となるのです。

矛盾の話って、面白いでしょ?