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当たり前のこと

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 ※acworksさんによる写真ACからの画像です。

そんなの、当たり前でしょ?
それって、常識じゃない。
普通、こうするでしょ?

こんな感じの言葉を、口に出したことは、誰しもあると思います。

はっきりした約束事がなくても、自分の周りの人に、似たような行動を取ったり、同じような考え方をする人が、たくさんいるとしましょう。

すると、そういう行動や考えは、当たり前のものと見なされます。

それでも、中には違う行動を取ったり、別の考えを持つ人もいるでしょう。

そんな人は、みんなから変わり者と言われ、場合によれば、白い目を向けられたり、村八分に遭わされるかもしれません。

そういう人々の行動や思考を、当たり前のことととらえていると、自分と違う行動や考え方を持つ人を、同じように変わり者と決めつけてしまうでしょう。

 ※Eduardo RSさんによるPixabayからの画像です。

よくあるのは、子供が親や先生の言葉を鵜呑みにして、事情もよくわかっていないのに、誰かのことを低く見たり、逆に称賛したりすることです。

それは子供の本心と言うよりも、親や先生に自分を合わせている場合が、多いと思われます。

何故なら、子供は親や先生に認めてもらいたいからです。

逆に、違う意見を述べたりしたら、変わり者のように見られてしまいますから、それを避ける意味もあるでしょう。

これは、大人になってからもあることです。

自分を認めてもらおう、受け入れてもらおうという気持ちが、先に立っていると、何でもかんでも相手の言葉に同調し、時には相手よりも過激な発言や行動を、見せたりするものです。

ただ、子供と違って大人の場合、自分で物事を判断できますから、こんな風になる人の数は、それほど多くないと思います。

それでも、大人になっても子供のように、よく考えないまま相手に同調してしまう人が、いるのは確かでしょう。

自分は他人のことを、とやかく批評したり、決めつけたような見方はしないぞ、と言う人は、心配いりません。

でも、そんな人でも、これは当たり前だろうと考えることはあると思います。

 ※Andrew KhoroshavinさんによるPixabayからの画像です。

たとえば、お金がないと生きて行けないとか、死んだらおしまいだとか、光が何年もかかって到達するような所から、異星人が地球に来られるはずがない、などと言うようなものです。

植物は脳がないから精神がないとか、この世界こそが現実で、夢と現実は違うと言うのも、そうですよね。

このように考えている人は、世の中にごまんといるでしょう。

だけど、どうしてそう思うのか、その根拠を問われた時に、きちんと説明できる人は、ほとんどいないと思います。

学者や知識人と呼ばれる人たちは、それなりの論理を持っているでしょう。

でも、そのほとんどは推測であり、確かにそうだと言える部分は、少ないのです。

少ないからこそ、自分たちの考えが正しいと証明すべく、日夜データ集めに頑張っているのです。

その結果、それまで主張していたこととは、異なる見解に行き着くこともあるわけです。

専門家でもわからないことが多いのに、専門家ではない者が、根拠を聞かれても困るとは思います。

であれば、当たり前だとは思わないことです。

今はこんな風に言われてはいるけれど、本当のところはわからないなと、謙虚な受け止め方をするのがいいと思います。

お金がないと生きて行けないと言われても、確かにそう見える状況はあるけれど、本当にそうなのだろうかと、疑問を持つことが大切です。

お金は便利かもしれないけれど、絶対に必要なものではないと気がつけば、お金がなくても生きて行ける社会のあり方や、暮らし方が浮かんで来ると思います。

 ※Hanna KovalchukさんによるPixabayからの画像です。

他のことについても同様で、当たり前と言われることを、本当にそうなのだろうか、もしかしたら違うのではないだろうか、と考えてみて下さい。

そうすると自然に視野が広がり、知性が高まって来るはずです。

求める問題の答えを見い出せなくても、日常の事柄に対する態度や受け止め方が、それまでとはがらりと変わって来るでしょう。

当たり前という考え方は、思考をストップさせてしまいます。

ショートカットしているようなものですね。

考えなくて済むと、楽なように思えますが、人間は考える存在です。

考えることをやめてしまうと、人間としての質が、どんどん落ちてしまうのです。

生きているだけのロボットと同じです。

 ※S. Hermann & F. RichterさんによるPixabayからの画像です。

親に食事や洗濯、お風呂の準備など、世話になっている人は、少なくないでしょう。

その中で、親に対して、ありがとうと感謝を伝えている人は、どのくらいいるのでしょうか。

普段は全然顔を見せない祖父母に対し、敬老の日だけ何かをプレゼントして、それで年寄りを大切にしている気分になっている人。

同じく、親に感謝などすることもないのに、父の日や母の日にだけ、ちょっとした贈り物をして済ませてしまう人。

気分がいい時は、我が子を他人に自慢するくせに、スマホで遊びたい時には、子供が泣いていても見向きもしない人。

お店で何かを買うのは、売ってもらうのと同じなのに、自分は客だと、店員に横柄な態度を見せる人。

自分は相手より年上だから、自分が優先されるべきだと、本気で信じて疑わない人。

感謝を忘れている場面は、いろいろあります。

全部、原因は同じです。

してもらうのが当たり前、相手がいるのが当たり前、という考え方です。

でも、当たり前のことなど、何一つありません。

それは自分が楽をするために、考えることをやめているだけなのです。

その結果、悲劇は起こり、不幸が訪れるのです。

当たり前などないと知ることは、幸せを知るのと同じことなのです。