本当の自分
自分探しという言葉が、流行していますが、求める自分が見つかる人は、それほど多くないと思います。
と言うのは、みんなが探し求めているのが、具体的な自分の姿だからです。
しかし、本来の自分には、姿というものはありません。
本当の自分というものは、姿ではなく、心の状態を言うのです。
天職という言葉がありますから、自分にぴったりの仕事は何だろう、と考える人は少なくないでしょう。
それは憧れでもあり、天職に巡り会うことが、人生の成功であるように、感じてしまいます。
そうなると、自分探しというものが、天職探しになるのですね。
ところが、天職と言えるようなものには、なかなか巡り会えません。
これこそ天職だと思ったとしても、病気や事故、災害などにより、その仕事を続けられなくなることもあります。
天職が不可能となれば、人生には絶望しか残されません。
何のために生きているのかが、わからなくなってしまいます。
天職に巡り会えて、素敵な人生を送っている人を横目で見ながら、自分はもうおしまいだと嘆くわけです。
しかし、これは誤解であり、間違った自分探しです。
その理由は、自分というものを、心としての存在ではなく、肉体としての存在として、イメージしているからです。
繰り返しますが、心に姿はありません。
本来の自分に、具体的な姿形はないのです。
それでは、姿形ではない、本来の自分を確かめるには、どうすればいいのでしょうか。
それは、自分が居心地がいいと感じる、心の状態を見極めればいいのです。
穏やかなのがいいのか、刺激があるのがいいのか。
一人がいいのか、大勢でわいわいしているのがいいのか。
自然の中にいるのがいいのか、都会の建物に囲まれているのがいいのか。
体を動かしているのがいいのか、観察しているのがいいのか。
具体的にどんな仕事をするのか、どんな活動をするのか、というのは、今述べたような心の状態を、物質世界で表現する手段として、何が適切かということです。
大切なのは、表現の元である心の状態なのであって、表現方法自体は重要ではありません。
一つの方法が使えなくなったなら、別の方法で表現すればいいだけなのです。
自分が何をしたらいいのか、わからないという人は多いと思います。
それは具体的に何をすればいいのかが、わからないということです。
でも、そんなものはわからないのが当たり前です。
やってみないと、それが自分を表現するのに適切かどうかが、わからないのですから。
重要なのは、自分がどんな心の状態で、ありたいのかということです。
先に述べた様々な状態は、画一的ではありませんし、固定的でもありません。
人の心は安定と刺激の両方を求めるものですし、一人でいることを好みながらも、仲間を求めたりもします。
いろんな要素が混じり合って、一つの心の状態ができていますし、その状態も、状況に応じて変化して行きます。
ずっと安定を求めていたのに、いざ安定が手に入ると、今度は刺激を求めるという感じです。
冒険を求めながら、家が恋しくなるのと同じです。
ですから、心の状態にしても、画一的かつ固定的な状態を思い描いて、それが本当の自分だと考えてしまうと、またおかしなことになってしまいます。
ポイントは、今、自分は何を求めているのか、ということです。
それが昨日と全然違っていても、構いません。
今こそが大切なのです。
思い立ったが吉日という諺があるように、今どうしたいか、どうありたいか、ということに目を向け、それがわかれば、今すぐにそのように動くことです。
どこかを探しても、本当の自分は見つかりません。
お金があるのかどうか、注目を浴びるかどうか、社会的に重要な仕事かどうか。
そんなことは全て、物質世界の中に、人間が勝手に作り上げた価値観に過ぎません。
そういうものを超えた所にある、自分の心の状態こそが、本当の自分なのです。