ポジティブエネルギーとネガティブエネルギー
ネガティブエネルギーは、反発する性質があります。
これに対して、ポジティブエネルギーは、一つになろうとする性質があります。
反発力と引力。
これは電磁力と同じですね。
電極のプラス同士、あるいはマイナス同士は、反発し合います。
これに対して、プラスとマイナスは引き合います。
磁極の N極と S極は引き合いますが、N極同士、S極同士は反発し合います。
この電磁場における引力や反発力も、実はポジティブとネガティブのエネルギーが、介在しているのかもしれません。
原子はプラスの原子核と、マイナスの電子で構成されていますが、上手い具合に引力と反発力のバランスが取れていて、それで原子という形が構成されています。
このバランスが崩れていれば、原子は一つの点に集約されるか、あるいはバラバラになっているでしょう。
また原子同士の引力や反発力によって、形のある物体が作られます。
これもポジティブとネガティブのエネルギーバランスが、上手く取れているからでしょう。
こう考えると、ポジティブは引力、ネガティブは反発力というだけのことで、いいも悪いもないのがわかります。
プラスとマイナスの電極があるとしましょう。
マイナスに電荷が集まり、マイナス電子がたくさんあります。
両極の間に電流が流れる時、マイナス電子はプラスの電極へ移動します。
この電子の動きは、マイナスの電極からすれば、ネガティブな動きに見えるでしょう。
一方、プラスの電極からすれば、ポジティブな動きに見えるのです。
同じ電子の動きが、電極によって、ネガティブに見えたり、ポジティブに見えたりするのですね。
でも、電子の動きそのものは、ポジティブもネガティブもないわけです。
これと同じで、何か物事が起きた時、そのこと自体は、ニュートラルの状態です。
ポジティブでもネガティブでもありません。
それをどの立ち位置で見るかによって、同じ物事が、ポジティブに見えるのか、ネガティブに見えるのかが決まるのです。
たとえば、誰かが亡くなったとします。
普通に考えれば、ネガティブなことのように思えるでしょう。
しかし、死後も魂が残り、人生は単なる学び場所に過ぎない、と考えている人は、必ずしもネガティブには受け止めません。
人生を途中で投げ出すような、亡くなり方であれば、やはりネガティブにとらえるかもしれません。
しかし、学び終えて世を去ったのだと見れば、ポジティブにとらえるでしょう。
さらに広い視野を持っている人の場合、人生を途中で投げ出したように見えても、それも一つの経験であり、いずれ学ぶべきことは、学ぶはずだと考えます。
こう考えるならば、どのような亡くなり方をしたとしても、それをポジティブにとらえることになるわけです。
結局、ネガティブかポジティブかというのは、自分の立ち位置、自分の価値観で決まるわけです。
世の中がネガティブに見えるのであれば、それは自分の立ち位置が、そのような所にあるということです。
ちなみに、ポジティブにとらえるのと、大切な人がいなくなったことを、どう感じるかは別の話です。
大切な人が突然いなくなれば、それはやはり悲しいことでしょう。
ネガティブなものを、裏から見れば、そこには必ずポジティブがあります。
物事を一方向だけから見るのではなく、いろんな角度から眺めてみるのがいいでしょう。
その上で、自分はネガティブがいいと思うのであれば、ネガティブな位置に、ポジティブがいいと思う人は、ポジティブな位置にいればいいのです。
大切なのは、両方の見方ができるというのを、知っておくことです。
電流が流れる時には、プラスの電極とマイナスの電極があるのだと、理解しておくのと同じです。
両方を知っていれば、あとは自分がどちらに立つのか、好みの問題ですね。
ポジティブを知った人が、みんなネガティブを拒絶するわけではありません。
たとえば、スポーツなどのライバルを、敵と見るのか、同じ仲間と見るかは、その競技の質や、試合の雰囲気、対戦前の約束事などで、変わって来るでしょう。
お互いに真剣勝負を望むのであれば、ゲームの間だけ、お互いを敵と見なして争うことになります。
しかし、相手を傷つけたり、殺したりするような争いにはなりません。
またゲーム以外では、互いを認め合うよき友ですし、対戦中でも、相手に対する畏敬の念は、忘れません。
こんな感じで、ネガティブとポジティブのバランスを調節しながら、楽しむのがいいでしょう。