孤高の人
出る杭は打たれると言いますが、それでも伸びる杭もあるのです。
ところが、伸びた杭は周りの杭と比べると、一本だけ高く伸びますので、周りから浮いてしまっているようにも見えます。
これが、いわゆる孤高の人です。
何かに懸命に打ち込む人。
大きな夢を抱いて、その夢に向かって進む人。
未知の世界に果敢に挑戦する人。
常識に囚われず、信念を貫く人。
こういう方たちは、みんな孤高の人です。
周囲にいる普通の人たちには、自分が考えていることや、やろうとしていることを、なかなか理解してもらえません。
場合によって、ただの変わり者とか、頭がおかしい人と、思われかねません。
でも、自分が信じた道を諦めて、他の人たちに合わせて生きると、自分が生きている実感が湧きません。
かと言って、自分が思ったとおりに生きると、孤独感を味わうのです。
進む道に壁があっても、それを乗り越えるための苦労を、誰も分かち合ってくれません。
新しい発見があっても、誰もそれを喜んでくれません。
そんな自分を悲劇の主人公のように、受け止めてしまうと、その人は挫折したり、自らの命を絶ったりするでしょう。
しかし、どんな苦労にもめげずに、己の道を突き進んで行けば、周囲より飛び出た杭は、どんどん高く伸びて行きます。
高くなればなるほど、周囲がよく見通せるようになるのです。
そうすると、すぐ近くには自分と同じような者が、一人もいなくても、離れた所には、自分と似たような高く伸びた杭が、見えて来ます。
その状況は、向こうの杭でも同じです。
互いの存在に気がついた杭同士は、自分の仲間がいることを喜び、それを励みにするでしょう。
この場合、必ずしも杭の種類が、同じである必要はありません。
つまり、相手が自分がやっていることと、全然違うことに打ち込んでいても、構わないのです。
周囲の無理解や多くの困難にもめげずに、目指すもののために打ち込む姿が、強い親近感を持たせてくれるのです。
やっていることが違っても、そういう人は仲間だと思うでしょう。
孤高とは、初めは孤独との戦いです。
それでも、自分の道を進み続けると、必ず本当の仲間、信頼できる仲間と、巡り合うことができます。
孤高における孤独とは、人生観や世界観が、周囲の人よりも高い位置から、眺めることなのです。
それは一般の人が登れないような、大きな山に一人で立ち向かい、とても高い所から、下界を見下ろしているようなものです。
当然、それは孤独です。
しかし、とても高貴で神聖な孤独です。
山頂はまだまだ先にあっても、その山頂を目指して登り続ける、他の仲間たちの姿が見えると、力が湧いて来るでしょう。
孤高とは、そういうものなのです。
人と違う何かを、追い求めている人は、それなりの苦労をされると思います。
大変な孤独を味わうかもしれません。
それでも、その孤独は勲章です。
他の人が知らない世界へと、突き進んでいる証です。
その孤独を胸に飾って、さらに上を目指して下さい。
必ずや、仲間たちと巡り会い、喜びを感じる日が訪れますから。