上から目線
上から目線で何かを言われると、ムッとしますよね。
でも、自分もつい、上から目線で言ってしまうことが、あると思います。
上から目線で言われると、相手の反発を招きます。
その場で反抗される場合もあれば、表面的には従順でも、心の中で反発をされている場合もあります。
素直に、はい、そうですか、となることは、少ないのです。
全くの赤の他人に、何かを伝える場合、普通は上から目線では言いません。
それがお願いであれば、低姿勢になるでしょう。
知人と話す場合も、相手と自分が対等の立場であれば、やはり上から目線では言いません。
親しさから言葉が荒くなったとしても、上から物を言うことはありません。
普通に言わねばならない場面で、上から目線で喋る人は、普段から自分に自信がなく、自分が他人より劣っていると、考えているのでしょう。
あるいは、誰も自分に注意を払ってくれないとか、周囲の人々に無視されていると、感じているのかもしれません。
こういう人は、何かにつけて、上から目線で物を言います。
そうすることで、相手に自分の存在を、認めさせようとしているのです。
これは少し、精神的に病んだ状態だと言えます。
でも普通の人でも、上から目線で言う時は、こういう人たちと、似たような思考が働いていると、言えるでしょう。
ただ、本人には、そのような認識はありません。
何故なら、そういう物言いをする時、その人は相手を指導する立場にあるからです。
別に威張っているわけではなく、相手に教えることを教えているだけで、それが指導する立場の者として、当たり前の姿だと信じているのです。
たとえば、親、教師、上司、先輩、兄や姉。
こういう立場で物を言わねばならない時、それは大概の場合が指導になりますから、指導する者らしく振る舞うわけです。
でも、上から目線で言われると、反発したくなりますから、せっかくの指導が、指導にならなくなってしまいます。
上から目線で喋る時、本人はあまり意識をしていないかもしれませんが、自分の立場が上であることを、無意識に伝えようとしています。
頼み事にしても、忠告にしても、どうしてそうする必要があるのかを、相手が納得するように説明できるのであれば、まだいいのです。
しかし、説明できなければ、頭ごなしに、俺の言うことが聞けないのか、となってしまいます。
こうなると、自分に自信がないがために、自分より下の立場にいる者を利用して、自分の存在をアピールしているだけ、ということになります。
これでは目的が指導だとは、言えないでしょう。
親や教師、あるいは上司など、相手を指導しようとして、上から目線で喋ってしまう人は、それが指導者のあるべき姿だと、信じているのだと思います。
恐らく、自分の親や先生や上司の姿が、そのように目に映ったのでしょう。
上から目線で言われた時には、自分自身も反発心を抱いたはずです。
それでも、指導されたら黙って言うことを聞くものだと、信じ込まされ、自分も同じことを繰り返すのです。
周囲を見渡せば、親や教師や上司であっても、フレンドリーな人がいるのが、わかるでしょう。
職場の上司や先輩にしても、威張っている人もいれば、親身になってくれる人もいるはずです。
最初に自分が目にした、モデルどおりにする必要はありません。
こっちの方がいいなと思えば、そちらのモデルを真似ればいいのです。
上から目線で物を言う時、それは相手を抑え込もうとする、意識が働いています。
こうしなくては、いけない。
こうでなければ、ならない。
それは相手から自由を奪い、苦しめることになりますが、同時に、自分自身をも束縛することになるのです。
指導する立場で考えると、下の者には、いろいろ言いたくなるものです。
でも誰もが、失敗や痛い思いを経験して、成長していくのですから、そのチャンスを認めてやらねばなりません。
絶対にしてはいけないことだけ、しっかり伝えたら、あとは好きなようにさせるのが、いいでしょう。
痛い目に遭って初めて、言われていたことを理解することは、少なくないと思います。
相手を自由にしてやると、いろいろ言う必要がなくなった自分自身も、自由で楽になったことが、実感できるでしょう。
誰かに、上から目線で物を言いたくなった時、それは自分が何かの考えに、縛られているという証です。
つまり、そういう時には、自分を縛っている、何らかの考え方や価値観を、あぶり出すチャンスです。
そんな不要な考え方や、価値観を見つけ出し、それを手放すことができたなら、生まれ変わったような、新鮮な気分になれると思います。