前世から学ぶこと
前世に関心のある方は、結構いるのではないでしょうか。
今、お金に不自由している人も、前世では豪邸で暮らす、大金持ちだったかもしれません。
異性に全然もてないと思っている人も、前世では超人気者だったということも、有り得るでしょう。
逆に、何不自由なく暮らしている人が、前世では身動きが取れないような、生活をしていたかもしれないのです。
最高裁判所の判事や警察署長が、前世では犯罪者であることも、考えられます。
前世について、いろいろ考えるのは自由です。
可能性だけで言えば、あらゆる可能性があるでしょう。
ところで、前世という考え方をする時、現在の自分を基準に考えると、前世は過去を生きた自分と、受け止めることが、一般的でしょう。
でも、前世の意味は、過去の人生ということではなく、今より前に生きた人生です。
私たちは時間を直線のようにとらえていますから、今より前となると、時間軸上の過去をイメージします。
しか前世が、私たちが考える過去とは限りません。
もしかしたら、この世界とは時間軸が全然異なる、異世界かもしれないのです。
あるいは、パラレルワールドの地球かもしれません。
ひょっとしたら、今の私たちから見れば、未来である世界に生きていても、不思議ではないと思います。
いずれにしても、前世の記憶など、ほとんどの人が覚えていませんから、自分の前世がどうであったかということは、気にする必要はないとも言えます。
そういう意味では、前世から学ぶべきことは、ないのかもしれません。
ただ、前世の自分と今の自分には、「自分」という、つながりがあるわけです。
ですから、前世で体験したことの記憶や教訓は、今の自分の無意識の中に、仕舞い込まれていると、考えることができるでしょう。
通常の意識で理解できるような、具体的な前世の記憶はなくても、前世での体験で学んだことは、様々な場面で、私たちに影響を及ぼしているのかもしれません。
ところで、存在の確認をしようがない、前世というものから、今の私たちが学べることは、過去の記憶や体験ではありません。
前世から学べることは、前世があるのであれば、来世もあるということなのです。
また前世には、そのまた前世があるでしょうし、来世にも、そのまた来世があるでしょう。
つまり、一つの人生としては、始まりと終わりがあるけれど、存在としての私たちは、始めも終わりもなく、永遠に続くものと言えるのです。
また、前世が今の時空間とは、別の時空間にもあるのなら、自分という存在は、時空を超えた存在だとも言えるでしょう。
そういうことを、前世というものは、教えてくれているのです。
ですから、前世を想定するかしないかで、その人の人生観や、物事の価値観は、全く異なるものになるでしょう。
そもそも前世なんて、確かめようのないものを、想定すること自体が間違っていると、考える人もいるでしょう。
しかし、真面目に前世を調査する研究者はいます。
別の記事でも紹介しました、ヘミシンクという技術を使えば、意図的に体外離脱をして、自分の前世を確かめることが、できるそうです。
それでも前世を認められないのであれば、それはその人の自由です。
ただ、先に述べましたように、前世を想定するかしないかで、人生観や価値観が大きく異なります。
想定しない方の人生を、否定するつもりはありません。
でも、前世の存在を受け入れる方の人生は、そうでない場合と比べると、深い理解に基づいた、喜びの色に彩られたものとなるでしょう。
初めは、自分の前世は、どんな人物だったのだろう、ということにばかり、関心が向くと思います。
でも、そんな事よりも、どうして前世があるのだろうと、考えるようになると、とても不思議な気持ちになるでしょう。
そして、自分という存在が、それまで思っていたよりも、遥かに大きな存在であると、理解するようになるのです。
そうなると、今の人生を、これまでとは全く異なる視点で、とらえるようになります。
すると、不幸だと思っていたことが、そうは思えなくなったり、毎日同じようなつまらない日々が、実は刺激に満ちていると、わかるようになるのです。
前世から学べることというのは、そういうことなのです。