前世と生まれ変わり3
前世の記憶を覚えている人は、滅多にいません。
ですから、前世なんてないと、考えたくなる人は多いでしょう。
でも、それは覚えていないというだけの話です。
前世がない証拠にはなりません。
前世があるというのは、生まれ変わりがあるということです。
また、前世で死んだのに、今世に生まれ変わったということは、今世で死んでも、来世に生まれ変わると言えるわけです。
死んでも新たに生まれ、また死んでも、また生まれる。
ずっとそういう事を、繰り返すのだとすれば、私たちの人生とは、何なのでしょう。
前世や来世を含めた、人生の全体像を描くのは、たやすいことではありません。
しかし、人生は一回こっきり、死んだら全部おしまいという考え方は、変更を迫られることになるでしょう。
ただし、今の時代に今の人格で生まれている人生は、やはり一回こっきりです。
似たような人生はあったとしても、今の人生に変わるものは、ないのです。
そういう意味で、いくら前世や来世があったとしても、今の人生を大切にすることが、重要なのは変わりません。
仏教の考え方に、カルマというものがあります。
良い行いをすると、いい運命に出会い、悪い行いをすると、悪い運命に出会う。
カルマとは、こんな感じで受け止められているようです。
たとえば、前世で人を殺したから、今世では殺される運命にあるとか、前世で人の手を切り落としたから、今世では手のない子供として、生まれて来ると、いうようなものです。
でも、こんな説明をもっともらしくされても、誰もそれを確かめた人はいないはずです。
こういうのは、悪いことを戒めるために、作られた説明であって、事実ではないと思います。
前世の研究では、生まれつき体に痣や奇形がある時に、それが前世での死に様と関係があると、示唆しています。
たとえば、銃で撃たれて死んだ人は、生まれ変わった体に、前世で受けた銃弾の傷跡と、そっくりの痣が見られることがあります。
刺し傷などでも、同じことが言えます。
手や足の奇形で、手足の指がなかったり、手や足が変形している場合、前世で同じ部位に、同様の損傷を受けていることがあります。
この人たちの痣や奇形は、前世で悪いことをした結果ではありません。
何も悪いことなどしていないのに、事件や事故に巻き込まれて、亡くなった人たちです。
これで言えることは、死に直面した時に受けた、強い印象が新しい体の形成に、影響を与えるということでしょう。
しかし、飛行機の墜落事故や、戦争での虐殺があった後に、似たような奇形や痣の子供たちが、大量に生まれたという事実はありません。
つまり、同じような死を迎えた人たちの、一部の人だけが、新しい体に前世の記憶が、影響しているということです。
ところで、死んだら、あの世へ行くのではなかったのかと、考える人もいると思います。
前世の研究では、殺された後に、しばらく幽霊のようにさまよった後、生まれ変わって来るケースがありました。
それとは別に、前世で死んで、今世に生まれて来るまでの間に、違う世界で過ごしていたという人もいます。
この世界があの世だとすれば、死んだ人は全員が、あの世へ行くわけではないのかも知れません。
この世界では欲しい物は、何でもすぐ現れるのですが、特に飲み食いをしなくても、平気だそうです。
この世よりも、ずっと暮らしやすそうな所のようですね。
それなのに、この人は生まれ変わりを促され、再びこの世に生まれて来たのです。
その話を受け入れるならば、やはり人がこの世に生まれて来るのには、何か深い理由がありそうです。
単に楽な暮らしを求めて生きることは、本来の人生の意義ではないと、いうことでしょう。
楽な暮らしを求めることが、人生の目的であるならば、この世よりも快適なあの世から、再びこの世へ戻って来る、理由がないからです。
わざわざ大変な世界へ、生まれて来る理由とは、何でしょう。
少なくとも、ただ生きるだけのために、生まれるわけではなさそうです。