何故 夕日は美しいのか
夕日は美しいですよね。
夕日と言っても、見る場所や条件によって、様々な見え方をします。
それぞれの見え方に対する、好みはあると思いますが、いずれの夕日も、美しいのは間違いなでしょう。
では何故、人は夕日を見て、美しいと思うのでしょうか。
いろいろ説明はあると思います。
でも、私はこう思うのです。
夕日を見て美しいと思うのは、それはその人の心が、美しいからだと。
これは何も、自分の心は美しいのだと、言っているわけではありません。
テレビやラジオの番組を視聴するためには、情報を送信する側と、情報を受信する側の、波長が合う必要があります。
それと同じで、送信された美しさを受信するためには、その美しさと同じ波長が必要なのです。
美を理解するということは、その人の心に、美が存在しているということです。
幸せが何かを知らない人は、他人を幸せにできないのと同じで、心に美を持たない人は、美を見せられても、理解できないでしょう。
どんなに悪い人間だと思われている人でも、あるいは、自分なんて何もいい所がないと、考えている人でも、夕日を見てきれいだなと感じられるのであれば、その心の本当の姿は、とても美しいのだと言えるのです。
そのことに気づかないか、そんなはずがないと否定しているために、自分は歪んだ人間なのだと、半ば投げやりな気持ちで、人生を送る人はいると思います。
でも、そんな人に対して、私は言いたい。
あなたの本当の姿は、夕日のように、とても美しいのだと。
美しく感じられるのは、何も夕日に限ったことではありません。
花だって美しいですし、山や海などの風景も、美しいです。
それらを美しいと思えるのであれば、やはりその人の心は、美しいのです。
また、美しいばかりでなく、そこに生命を感じたり、神々しさを感じたり、素晴らしさを感じたりすることもあるでしょう。
それは、自分自身の生命を感じ、自分自身の神々しさを感じ、自分自身の素晴らしさを感じているのです。
だからこそ、頑張っている人の姿を見ると、自分も頑張れる気持ちになれるのです。
また、逆に好きなことをしている人は、他の人が好きなことを、やりたいという気持ちが、理解できます。
誰かの中に、愛を見た時、その人の心は、愛そのものになっています。
人は自分を否定しがちです。
自信を失い、不安を抱えることが、多いと思います。
でも、夕日を見たり、花を見たり、じゃれ合う子犬を見たり、小さな子供の笑顔を見たりして、胸に温かいものを感じたならば、そこに感じているものこそが、本当の自分なのだと理解して下さい。
日本人だと口にするのが、恥ずかしいと思うかもしれませんが、あえて言わせてもらうと、そんなあなたは、愛そのものであり、光そのものなのです。
何も不安に思う必要はありませんし、自分を小さく見る理由がありません。
あなたは、自分が感じたとおりに、生きることができますし、生きればいいのです。