> 悩まれている方へ > 幸せへの道しるべ > 未来を思い出そう

未来を思い出そう

この記事は4で読めます。
 ※Michal JarmolukさんによるPixabayからの画像です。

過去を懐かしんで、思い出すことって、ありますよね。

あるいは、思い出したくもない過去も、あるかもしれません。

過去とは文字通り、過ぎ去ったことで、自分が経験あるいは認識したものです。

それは記憶として残り、私たちは記憶を探ることで、過去を思い出すことができます。

それに対して、未来というものは、これも文字通り、未だ来ないことであり、まだ経験も認識もできていないものです。

一寸先は闇という言葉があるように、次の瞬間のことでさえ、私たちは何が起こるのかがわかりません。

わからないから、ただ世の中の流れに流されたり、手探り状態で身動きが取れなくなったり、するのでしょう。

でも、過去と同じく、未来もすでに存在していて、それがどんなものかを、知ることができればどうでしょうか。

私たちは、未来はまだ未確定で、確かなものは何も存在していないと、受け止めがちです。

しかし、過去に対する記憶障害のように、未来についての情報を、すっかり忘れているとすれば、どうでしょうか。

人は何かを学ぶために、この世界に生まれて来るのだと、私は理解しています。

それが何であるのかを、今を生きる私たちは、覚えていません。

しかし、目的を持って生まれて来るということは、どういう未来に向かって進むべきなのかということが、すでに決められていると言えるでしょう。

それがわからないというのは、未来に対する記憶喪失ということになります。

 ※ShlomasterさんによるPixabayからの画像です。

でも、何かを学ぶためには、記憶がない方が好ましいのかもしれません。

何も知らないまま、ある状況において、どのような選択をするのか。

そこが重要なのだと思います。

ただ、本当に何も知らないというのではなく、大切な情報は無意識領域にあります。

ですから、目の前で起こっている状況に振り回されず、心の声を聞き取ることができれば、自分が進むべき道が、見えて来るでしょう。

過去のことを思い出す時と同じように、未来の記憶も、初めのうちはぼんやりした感じだと思います。

何となく、こっちかな、という具合でしょう。

しかし次第に、こっちだこっちだと、はっきり自分の進む道が見えて来ると、それは自分の道を、思い出して来たということです。

 ※Herbert BieserさんによるPixabayからの画像です。

将来、どのような自分であるのか、どんな所で、どのような事をしているのか。

そういうヴィジョンが、具体的に目に映るようになって来た時、それを単なる想像や妄想だと、受け止めるかもしれません。

でも、本当はそうではなく、目指すべき未来像の記憶が、蘇ったと見た方がいいでしょう。

ああ、こうなる予定だったんだなと、未来の記憶を思い出したということです。

ただの妄想だととらえていると、せっかくヴィジョンが見えても、それを役立てることができません。

せいぜい、こうなれたらいいのになと、考えるにとどまってしまうでしょう。

でも、未来の記憶を思い出したと、受け止めるならば、そうだったと言いながら、すでにその未来像の自分になったつもりで、行動を取るに違いありません。

 ※Jill WellingtonさんによるPixabayからの画像です。

自分が何に興味を持っているのか、何を大切に思っているのか。

そういう想いは、未来の記憶を思い出していなくても、ぼんやりと進むべき方向を、示してくれます。

逆に、こんな事は絶対に嫌だ、こんなのは自分に合わない、と感じることは、進むべき道はそちらではないと、教えてくれます。

初めはこれらの方向指示器に従って、人生を進むことになりますが、そうしているうちに、自分が何を求めているのかが、明確に見えて来るようになります。

それが、未来の記憶が蘇って来た、ということなのです。

過去の記憶と同じように、思い出そうとして思い出せるものではありません。

でも、何かの瞬間、何かをきっかけにして、過去の記憶が蘇るように、ある瞬間、何かがきっかけとなって、未来の記憶も蘇ります。

何かが思い浮かんだ時、それが自分の未来の記憶かもしれないと、感じたならば、疑うことなく、その方向へ進むことをお勧めします。

それは必ずしも、現代社会で憧れとされるようなものでは、ないかもしれません。

でも、自分の未来の価値は、自分にしかわかりません。

自分がそこに心惹かれたなら、そこを目指して進むことが、あなたの取るべき行動なのだと思います。