自分の中の自分 その2
バルーンアートで使う長い風船の、端っこの部分をひねって、小さく区切ります。
その区切られた部分が、今の自分だと考えて下さい。
この時、長い風船の残った部分は、無意識と呼ばれる意識領域です。
何故、無意識と呼ばれるのかと言うと、通常の意識活動のように、表に出て来ない意識だからです。
しかし無意識こそが、心の本体なのです。
私たちが何かを思いついたりするのも、無意識からの情報が、具現化されるからです。
私たちの通常の暮らしの中では、その名の通り、無意識がその存在を認識されることは、まずありません。
本当は存在しているのですが、完全に無視された状態です。
でも、私たちが眠りにつくか、あるいは死んでこの世界を離れた時、風船のひねられた部分は元に戻され、私たちの意識は無意識と一体化します。
夢から目覚めた時に、夢の中の人格が保持されるように、私たちの個人意識も、無意識と一体化した後でも、保持されます。
しかし、どちらが本当の自分かと考えると、やはり全体の方を、本当の自分だと言わざるを得ないでしょう。
つまり、初めに述べたように、無意識こそが本当の自分であり、私たちが考えている自分というものは、あくまでも仮の自分なのです。
元の意識である長い風船の中に、区切られた部分が、一ヶ所ではなく複数あったとしましょう。
すると、今の自分と同じような、元の自分の分身が、多く存在していることになります。
私たちは一度に多くのキャラクターを、イメージすることができます。
実生活の中においても、子供の頃の自分や、親としての自分、職業人としての自分や、男あるいは女としての自分など、多くの自分が入り交じっています。
それと同じように、私たちの本体である無意識の領域にも、私たち以外の分身が、多く存在していたと考えても、矛盾はないでしょう。
私たちには、自分の兄弟のような分身が、多く存在しているのです。
それぞれの自分たちは、違うパラレルワールドに、いるのかもしれません。
でも、今のこの世界を、別の立場から体験している、可能性もあるでしょう。
とにかく、いろんな自分の存在がいるということは、十分に考えられることです。
ここで、また違う状況を、想定してみましょう。
私たちの本体、本当の自分である長い風船が、実はもっと大きく長い風船の、一部が区切られたものだったとします。
また、そこには同じように区切られた部分が、たくさんあるのです。
そこの区切りがなくなると、私たちの無意識領域、つまり本当の自分は、さらに大きな存在である自分の一部であると、気がつくのです。
他の区切りの存在たちも同様で、区切りをなくすと、それだけ多くの存在が、互いに兄弟であることを、理解するのです。
そして、この大きく長い風船もまた、さらに大きな風船の一部であり、それが延々と繰り返されて行くのです。
これが意味するところは、どんなに見た目が違っていても、全ての存在は兄弟であり、分身なのだということです。
考えると、頭がおかしくなりそうに、なるかもしれませんね。
だけど、少なくとも私たち人間は、性別や民族の違いを超えて、一つの存在であり、同じ存在の分身なのだということだけは、理解して欲しいと思います。
知識として知るのも大切ですが、感覚的に理解することが、最も重要です。
そして、その感覚こそが、愛と呼ばれるものなのです。