自分の中の自分 その1
バルーンアートって、ありますよね。
細長い風船を膨らませ、一部をキュッキュッとひねることで、一本だった風船をいくつかのソーセージみたいに、区切って行くのです。
いろんな大きさの区切り部分を作り、それをねじ曲げたり、合わせたりして、全体で犬や花や剣など、様々な形にします。
あんなことをすれば、きっと割れてしまうと怖くなるので、私はバルーンアートが苦手です。
でも、ソーセージみたいな所を、さらにひねって、もっと小さくしても、案外割れないもののようで、バルーンアートを作る人が、風船を割るところを、見た事はありません。
とは言っても、自分がやるのは、やっぱり怖い気がします。
別に割れたところで、怪我をするわけでは、ないのですけどね。
ところで、あの長い一本の風船が、一つの意識であると考えてみて下さい。
そして、意識である長い風船の端っこの方を、摘まんでひねってみるのです。
完全にひねるのではなく、そっとゆっくりひねりながら、その時の長い風船の意識を、思い浮かべて下さい。
一つであるはずの意識が、二つに分離しようとしているのです。
それが、どんな状態であるのか、風船の意識に、自分の意識を置き換えてみて下さい。
でも、自分の意識が分離すると言われても、想像ができないかもしれませんね。
では、心の中に、ある人物をイメージして下さい。
実際にいる人物ではなく、自分のオリジナルのキャラクターです。
映画やドラマに登場する主人公や、脇役のようなものを、思い浮かべればいいのです。
勇者のような英雄でもいいですし、悪役でも構いません。
頭がいい学者タイプや、自分に自信が持てない臆病者、疑い深いくせに寂しがり屋。
何でもいいですから、オリジナルのキャラクターを思い浮かべて下さい。
そのキャラクターは、あなたがイメージしているのですから、あなたの一部です。
あなたがキャラクターを、思い浮かべている状態が、風船の意識をひねって、小さな部分を区切ろうと、しているところなのです。
自分の中に、特定のキャラクターを創り出すことが、意識を分離させるということなのです。
でも、単にキャラクターをイメージしている間は、完全に意識が分離したわけではありません。
風船を区切るためのひねりは、中途半端な状態です。
まだ、完全には区切られていません。
頭の中で、キャラクターが活動するのを想像している間は、キャラクターと同時に、想像している自分を自覚しています。
キャラクターがどんな状況で、どんな風に考え、どう感じるのかを、あなたは体験できますが、元の自分の意識も、同時に認識されています。
この時、キャラクターの行動は、自分が想像したとおりに、変化させることができます。
それは、あなたの想いがキャラクターに、反映されるということです。
ここで、あなたがキャラクターに意識を集中して、他のことを何も考えず、キャラクターになりきったとしましょう。
キャラクターになりきっていますから、キャラクターを自分が創り出したという、認識はありません。
いわば、妄想の世界に入り込むか、夢の世界に入っているようなものです。
この状態の時、元の自分は意識されていません。
これが風船の端を、完全にひねって区切った状態です。
でも、どんなにしっかり区切ったところで、その部分が全体の一部であることには、違いがありません。
ひねった所を元に戻せば、区切られた部分は、自分が全体の一部であることを、思い出します。
夢から目が覚めて、今のは夢だったのか、と気づくのと同じです。
キャラクターになりきった妄想の白昼夢から、はっと我に返るのも、同じ状況です。
白昼夢よりも夢の方が、馴染みがあるでしょうから、ここからは夢で話を続けます。
夢から目覚めた後、夢の中の自分が、どうだったのかという記憶は残っています。
夢の中で感じた、感情も残ります。
つまり、覚醒後の意識でありながら、夢の中の人格も、そのまま保ち続けることができるのです。
この時、夢を思い出して、夢の中の人格を再現しても、そこには同時に、目覚めている自分の意識も存在しています。
両者の区別は、はっきりしたものではなく、その境界は曖昧です。
しかし、どこに意識の主体があるのかは、明らかです。
夢の中では、自分だと認識していたはずの人格も、目覚めてからは、元の意識の一部であることが、理解されます。
さて、次は少し条件を変えて、考えてみたいと思います。