執着する理由 その3
それがどんな理由であれ、何かに執着し過ぎると、それは人生を前進することの、妨げになります。
ある行為に執着していると、他のことができなくなってしまいます。
ある考え方に執着していると、他の考えを受け入れられなくなります。
何かの物に執着していると、そこから離れられなくなります。
こういった執着の裏には、不安が隠されています。
その不安を解決せずに、何かへの執着だけを続けていると、人生を前に進むことができません。
前に進んでいるつもりでも、実は立ち止まっているのです。
好奇心に従った執着であれば、人生を前進することはできます。
しかし、感謝と思いやりの気持ちがなければ、やはりトラブルを引き起こしてしまいます。
たとえば、核爆弾などの大量殺戮兵器の開発に、関わっている科学者たち。
彼らの研究に対する、好奇心は旺盛でしょうが、自分たちが大量殺人に加担しているという、意識はないでしょう。
これは歪んだ好奇心であり、世界を大きな危険に、引きずり込んでいます。
彼らの好奇心が歪む原因として、金銭欲や名誉欲があります。
つまり、彼らが本当に執着しているのは、研究ではなく、お金や名誉だということです。
研究は目的ではなく、お金や名誉を手に入れるための、手段に過ぎないのです。
自分の欲望さえ満たせればいいというのは、人間としては非常に未熟な存在であり、その知性はとても低いと言えるでしょう。
女性に対する好奇心が抑えられず、女性に襲いかかって暴行を加えたり、騙して玩具にするような男がいます。
彼らの好奇心も、歪みに歪んでいます。
異性に対する興味や好奇心は、誰にだってあるでしょう。
しかし、それは相手を支配したり、利用しようというものではありません。
自分とは異なる存在への、純粋な興味であり、相手といい関係を作りたいという、欲求につながるものです。
性犯罪者の女性に対する好奇心というのは、自信のなさや無力感、そんな自分に対する怒りやいら立ちが、自分よりも弱いであろう女性を、ターゲットにしたものです。
獣が獲物を狙うのと同じですね。
それは、本来の好奇心ではありません。
これを単純に、女性への好奇心と解釈するのは、間違いです。
彼らの本当の問題を解決しない限り、同じことを繰り返すでしょう。
宗教の原理主義を掲げる者たちも、他の宗教や価値観を否定することに、執着しています。
彼らの心の根底には、社会不安や怒り、悲しみがあります。
自分たちの存在を、ないがしろにされていると感じていて、その反発心が彼らを突き動かしています。
彼らの行動は、自分たちの存在をアピールするものであり、自分たちの考えが正しいということを、証明するためのものです。
彼らの考えが歪んでいることや、彼らが執着しているものが、間違っていることは、誰にでもわかると思います。
しかし、日常の暮らしの中で、彼らと同じようなことをしている者が、いるのではないでしょうか。
頭の固い上司や、独りよがりの偏屈者。
古い考えの親や親戚、あるいは地域に古くから暮らす者たち。
自分の考えや価値観を他人に押しつけ、異なる意見は受け付けようとしない人は、案外たくさんいるものです。
何でも人のせいにして、自分は間違っていないと信じる人たちも、同じです。
彼らの世界観は固まっていて、それを変えることができません。
こういう価値観も、やはり原理主義と呼べるでしょう。
それぞれの考えを持つに至る人生経験は、人それぞれです。
どんな価値観を持とうとも、それはその人の自由です。
しかし、それが苦しみを生むのであれば、見直してみたらいいと思います。
また、人間として成長したいという気持ちがあるのなら、まずは感謝と思いやりの気持ちを持ちましょう。
そして、意見の異なる人のことも受け入れて、多様性のある社会を意識しましょう。
そうすれば、自分自身の居場所もできます。
本当の好奇心に従って、喜びを見つけることもできるでしょう。
もし、何かに執着している自分に気がついたなら、その背景に問題が隠されていないか、自分で確かめるようにして下さい。