正義のつもり
昨日は東京のコロナ感染者数が、1600人近くになり、過去最多を更新しました。
外国でもコロナの勢いは衰えず、世界中でコロナワクチンへの期待が、集まっています。
日本でも来月下旬に、ワクチンの接種を開始する予定ですが、テレビのワイドショーなどでは、相変わらず国民の不安を、かき立てるようなことばかり言っていました。
ワクチンが効くのか効かないのか。
効かなかったら、どうなるのか。
そんなことは、やってみないと、わかるはずもありません。
いくら専門家に尋ねても、専門家だって知らないのです。
聞かれたら何か答えないといけませんから、専門家の人たちは自分の考えを述べますが、そこには期待も含まれるし、最悪の可能性も考慮されます。
当然、意見は割れますが、それがまた不安の元になるわけです。
番組の司会者は、一体何を求めているのでしょうか。
誰かが100%の安全を保証してくれるのを、期待しているのでしょうか。
しかし、未来は常に不確定です。
全てにおいて、100%など有り得ません。
それに、どれほど安全や安心を示しても、疑う気持ちがあるうちは、何を言われても、信じる気持ちにはなれないでしょう。
結局、待たなければわからないのですから、黙って待っていればいいのです。
待っている間は、自分がやるべき事や、やりたい事を、淡々とこなしていたらいいでしょう。
何か問題が起こるようであれば、感情的になるのではなく、やはり淡々と対処するしかありません。
国がどんな政策を取ったとか、誰が何を言ったとか、そんなことで右往左往しては、いけないのです。
テレビの報道番組は、国民に真実を伝える役目を、果たしているつもりです。
それは正義の行いだと、考えているのでしょう。
しかし、その基盤には視聴率競争というものがあります。
国民に希望を与えるより、不安に落とす方が、インパクトが強くて、視聴率アップにつながるという、浅はかな考えが潜んでいると思います。
ただ、現場で動いている人たちの意識に、そういう考えがあるとは限りません。
みんな、指示されたとおりに動き、それが正義につながっていると、信じているのかも知れません。
それでも、結局やっていることは、騒がなくていいことを騒ぎ立て、視聴者の不安を煽っているだけです。
コロナウィルスは、単なるウィルスに過ぎません。
ワクチンがなくても、いずれは必ず、その影を潜めます。
ワクチンさえあれば、元の世界が戻って来るような、期待を持つ人がいます。
それは言い換えれば、ワクチンさえあれば、昔のような好き勝手を、やっても構わないという意味になります。
でも、本当の問題は、他人の事を顧みずに、自分さえよければそれでいいという、エゴイズムの世の中ではないでしょうか。
逆に言えば、それさえ正すことができたなら、コロナウィルスでここまで騒ぐ必要は、ないのだと思います。
ヨーロッパではロックダウンが行われ、指示に従わない者には、罰則が与えられます。
それでも、自由を奪われることに反発し、集会やパーティーを開いて、警察と揉める人が、後を絶ちません。
もし、一人一人が他人への配慮をしながら、自らの行動を管理できたなら、政府が法律で強制的に、人々を押さえ込む必要はありません。
ヨーロッパのような、強制力がある政策を、日本が取らないのは、過去の戦争の反省があるのだとは思いますが、他人を気遣える国民性に、期待をしているからだと思います。
ただ、その期待が甘えになっているようなので、国民からの信頼が得られないのでしょう。
とにかく、今の状況には、一人一人が自分の意志で、対処して行くしかありません。
それでも、一人ができることは限られますし、生活に困窮する人も出て来ます。
そんな時は、近くの人との協力が、大きな力となるでしょう。
今求められているのは、誰かに指示されたり、煽られたりして動くことではなく、自分で冷静に考えて行動するという事です。
行動の原動力にするべきなのは、恐怖や不安や焦りではなく、感謝と思いやりと好奇心です。
今こそ、みんなが力を合わせて助け合い、お金がなければ生きていけない世の中を、お金がなくても生きて行ける世の中に、変える時でしょう。
そして、人生というものを、見直すべき時でもあります。
すなわち、楽に生きる、面白く生きるということではなく、喜びのある生き方を求めるということです。
表面的に楽しい人生ではなく、深みのある生を感じられる人生を送る。
そんな時期が、訪れたのだと思います。